成瀬不二雄

没年月日:2012/04/26
分野:, (学)
読み:なるせふじお

 日本の洋風画研究者成瀬不二雄は4月26日、死去した。享年80。
 1931(昭和6)年10月16日、福岡県福岡市に九州帝国大学仏文科教授成瀬正一の長男として生まれる。東京の森村学園小学校を卒業して、神戸甲南学園中学に学び、同高校を1年にて修了し神戸大学文学部に入学。53年3月神戸大学文学部芸術学を卒業し、翌54年3月同大学文学専攻科を終了。同年5月から神戸市立神戸美術館(後の神戸市立南蛮美術館)の嘱託となるが、同年11月に退職して神戸大学文学部芸術学助手となる。61年4月大和文華館学芸員となり、学芸係長、同課長、学芸部長を経て、同館次長となった。神戸大学在職中は、「ボードレールの詩的世界の成立とアングル及びドラクロアの影響について」(『近代』14号、1956年4月)、「ボードレールの詩「灯台」についての序説」(『近代』17号、1956年12月)、「ルーベンスとボードレール」(『近代』18号、1958年1月)、「レンブラントとボードレール」(『近代』19号、1957年5月)、「ゴヤとボードレール」『神戸大学文学会研究』(18号、1959年2月)に見られるように、ボードレールとそれに関わる美術家について研究を行っていたが、大和文華館に入った後、日本における西欧美術の受容を対象とするようになり、「桃山時代童子肖像画の一資料」(『大和文華』44号、1966年12月)、「日本洋画のあけぼの・秋田蘭画」『(美術手帖』283号、1967年6月)など、その後のライフワークとなる洋風画に関する論考が発表されるようになった。秋田蘭画における西洋的な空間表現の受容を論じ、近景を画面の前面に大きく描き、中景を水面などのモティーフとして、遠景を小さく描く特色ある構図を「近像型構図」と名づけてその系譜を跡づけ、また富士山が描かれた洋風画を悉皆的に調査し、実景と比較することによって、司馬江漢ら近世の洋風画の絵師たちが西洋風の写実を学びながらも、絵になる構図を求めて富士山を実景とは異なる位置に描いていることを実証するなど、洋風画史に大きな足跡を残した。それと並行して、従来、日本文化の近代化という文化史的側面から見られる傾向の強かった洋風画の美術的価値への理解を広めることに寄与した。1993(平成5)年、『国華』1170号掲載の「司馬江漢の肖像画制作を中心として-西洋画法による肖像画の系譜」によって第5回国華賞を受賞。97年3月に大和文華館次長を退職し2年間同館嘱託として在職、99年4月に九州産業大学大学院芸術研究科教授となり、洋風画史を講じた。晩年の著作となった『司馬江漢-生涯と画業』本文篇・資料篇(八坂書房、1995年)、『日本絵画の風景表現 原始から幕末まで』(中央公論美術出版、1998年)、『江戸時代洋風画史』(中央公論美術出版、2002年)、『日本肖像画史 奈良時代から幕末まで、特に近世の女性・幼童像を中心として』(中央公論美術出版、2004年)、『富士山の絵画史』(中央公論美術出版、2005年)は半世紀近い調査研究の集大成となっている。
主要著書
『東洋美術選書 曙山・直武』(三彩社、1969年)
『原色日本の美術25 南蛮美術と洋風画』(坂本満・菅瀬正と共著、小学館、1970年)
『日本美術絵画全集25 司馬江漢』(集英社、1977年)
『江戸の洋風画』(小学館、1977年)
『百富士』(毎日新聞社、1982年)
『司馬江漢-生涯と画業』本文篇・資料篇(八坂書房、1995年)
『日本絵画の風景表現 原始から幕末まで』(中央公論美術出版、1998年)
『江戸時代洋風画史』(中央公論美術出版、2002年)
『日本肖像画史 奈良時代から幕末まで、特に近世の女性・幼童像を中心として』(中央公論美術出版、2004年)
『富士山の絵画史』(中央公論美術出版、2005年)

出 典:『日本美術年鑑』平成25年版(412-413頁)
登録日:2015年12月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「成瀬不二雄」『日本美術年鑑』平成25年版(412-413頁)
例)「成瀬不二雄 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/204392.html(閲覧日 2024-04-24)

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