長谷川堯

没年月日:2019/04/17
分野:, (学)
読み:はせがわたかし

 建築史家、建築評論家で武蔵野美術大学名誉教授の長谷川堯は4月17日、癌のため東京都内で死去した。享年81。
 1937(昭和12)年6月16日、島根県八束郡玉湯村(現、松江市玉湯町)で老舗旅館保性館(同館幽泉亭は国登録有形文化財)を営む家に生まれる。県立松江高等学校から56年に早稲田大学第一文学部に入学、美術史を学ぶ。77年に武蔵野美術大学造形学部助教授、84年に同教授、2008(平成20)年定年退職。
 大学を卒業した60年に、指導教授だった板垣鷹穂の勧めにより、卒業論文をもとにした「近代建築の空間性 ミース・ファン・デル・ローエとル・コルビュジエ」が『国際建築』誌に掲載される。65年創刊の『SD』編集部などで働きつつ、68年に「日本の表現派」を『近代建築』誌に発表したのが建築評論家としての本格的デビューで、彼自身の言葉によれば、「<表現派>の建築の発展を、建築家の「自己性の確立」という過程の中でとらえ」ることで、それまで明治と昭和の間での移行期のように扱われていた大正建築を一時代として定置して見せた。続く「大正建築の史的素描」(1970年、『建築雑誌』掲載)では、明治の古典主義建築と昭和の近代主義建築に通底するのは、「国家」と支配体制の側に立つ「建築を上から、外から見る視界」であると喝破し、「神殿か獄舎か」(1971~72年、『デザイン』掲載)において、戦後日本の建築界を席巻していたモダニズム、とりわけその中心的存在であった丹下健三とその建築を「神殿的思惟」の象徴として激しく攻撃した。これら最初期の論考をまとめた『神殿か獄舎か』(相模書房)が72年に刊行されると、まさに高度成長を追い求めた戦後日本社会の矛盾が様々な形で顕在化しつつあった時期にあって、戦前までの国家主義への対立概念のように捉えられていたモダニズム建築への痛烈な批判は、安保闘争で国家権力への敗北を味わった学生や若手建築家たちに衝撃をもって受け止められた。
 『都市廻廊-あるいは建築の中世主義』(相模書房、1975年、毎日出版文化賞)では、東京をはじめとする近代の都市が失いつつあった水面からの景観や路地などの空間的豊かさを説き、機能優先主義への警鐘を鳴らした。また、『建築有情』(中公新書、1977年、サントリー学芸賞)では、建築を「作る者のあるいは使う者のそれぞれの立場から寄せられる感情とか内面的脈動の相関物である」としてその社会性を強調するとともに、市井で使われ続ける「生きた建築」への人々の関心の低さを憂え、『建築の生と死』(新建築社、1978年)でも歴史的空間を形作る無名の建築がもつ重要性を訴えた。当時まだ十分に評価が定まっていなかった大正期以降の近代建築の保存と再生活用に与えた影響は大きく、村松貞次郎らとともに各地での市民レベルの保存運動にも積極的に協力した。
 美術史出身で建築を作る立場ではない長谷川の近代主義建築批判は、理念や論理が先行する建築家のアプローチに向けられており、必ずしも作品そのものが持つ力を否定しているわけではなかった。むしろ、その力が強ければ強いほど権力装置として作用する建築のシンボリズムに対抗して、より内発的、個人的な感性や想像力に立脚した建築創造の可能性を復権させることに力点があった。その意味において彼が注目した建築家が村野藤吾で、モダニズムも含めた古今東西の様式を自在に操りながら空間性とディテールに富んだ作品を生み続ける姿勢を大正建築家の最後の一人として高く評価していた。村野本人との数十回に及ぶ対談も踏まえた研究の成果は、大部の『村野藤吾の建築 昭和・戦前』(鹿島出版会、2011年)としてまとめられ、これが長谷川の遺作となった。続いて構想されていた『戦後』篇の刊行を見ずに逝ったことは、さぞや心残りであったに違いない。
 86年に「日本近代建築史再考に関する評論活動」で日本建築学会賞(業績)。上記以外の主な著作に、『建築-雌の視角』(相模書房、1973年)、『建築の現在』(鹿島出版会、1975年)、『生きものの建築学』(平凡社、1981年)、『建築逍遥-W・モリスと彼の後継者たち』(平凡社、1990年)、『田園住宅-近代におけるカントリーコテージの系譜』(学芸出版社、1994年)、『建築の出自』『建築の多感』(長谷川堯建築家論考集、鹿島出版会、2008年)等がある。また、建築・住宅系雑誌を中心に、数多くの論考や建築家との対談が掲載されている。

出 典:『日本美術年鑑』令和2年版(488頁)
登録日:2023年09月13日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「長谷川堯」『日本美術年鑑』令和2年版(488頁)
例)「長谷川堯 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/2040991.html(閲覧日 2023-12-06)

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