紺野敏文

没年月日:2019/04/15
分野:, (学)
読み:こんのとしふみ

 美術史家・仏教彫刻史研究者で慶應義塾大学名誉教授の紺野敏文は4月15日、心原性脳塞栓症のため亡くなった。享年80。
 1938(昭和13)年5月13日、東京都杉並区に生まれる。58年3月、福島県立田村高等学校を卒業し、同年4月に慶應義塾大学文学部に入学。62年3月同大文学部哲学科西洋哲学専攻を卒業、アジア問題研究会を経て三井生命保険相互会社に勤務。同社を退職した後、74年4月に慶應義塾大学大学院文学研究科美学美術史学専攻修士課程に入学し、76年3月に同課程を修了、同年4月に同大学院博士課程に入学した。79年1月より文化庁文化財保護部美術工芸課調査員(~1979年12月)、同年3月に慶應義塾大学大学院博士課程を単位取得退学し、80年1月より奈良県教育委員会文化財保護課に着任、技師・主査を務める。84年4月に慶應義塾大学文学部哲学科に助教授(日本・東洋美術史担当)として着任した。1990(平成2)年4月より同大教授、2004年3月に同大を定年退職し、4月から同大文学部・大学院非常勤講師を務める(~2007年3月)。成蹊大学、東北大学文学部・同大学院、東京大学文学部・同大学院、武蔵工業大学で講師・非常勤講師として教鞭を執ったほか、92年8月から93年9月まで中国上海市同済大学建築系特別共同研究員。三田哲学会会長、文化庁文化審議会文化財分科会専門委員、遠山記念財団理事、國華賞選衝委員長、美術院評議員等を歴任した。77年第4回北川桃雄賞、02年東京都北区教育文化功労者表彰、09年東京都江戸川区区政功労者表彰、18年千葉県市原市文化財保護尽力者表彰。
 慶應義塾大学文学部では哲学を専攻したが、在学中に古美術に対する関心を深め、会社員時代に大津へ赴任した際には関西地域の古社寺を訪ね歩いたという。36歳で大学院に進学、日本彫刻史研究の第一人者である西川新次に師事して修士論文「平安初期における真言系密教彫刻の展開:観心寺・安祥寺・仁和寺諸像の造立年代と造寺背景を中心に」を提出する。その一部に基づく最初の論文「創建期の安祥寺と五智如来像」(『美術史』101、1976年)では、従来下寺が先に創建されたとの説が優勢であった安祥寺について、上寺の先建と五智如来像の当初安置を明快に論じ、優れた美術史研究者に贈られる北川桃雄賞を受賞。以後、平安彫刻を中心とした論考を精力的に発表する。論考においては史料を精読し、造形を含めて複眼的に彫刻をとらえて緻密に論証を進めながらも、大局的な視点で論じられたものが少なくない。平安初期における木彫像への転換や造像環境の変遷などを論じた大部の「平安彫刻の成立(1)~(10)」(『佛教藝術』175~225、1987~96年)や、古代における信仰の実態を分析し、図像や作例を検証した「虚空蔵菩〓像の成立(上)~(下)」(『佛教藝術』140・229・232、1982・96・97年)、大陸から請来された彫刻を「本様」として日本彫刻史の展開を追う「請来「本様」の写しと仏師(一)~(三)」(『佛教藝術』248・256~270、2000年~03年)などはその代表である。また、奈良県教育委員会で地域の社寺調査を多数経験したことから、大学へ移ってからも実地調査を重要視する姿勢は終生変わらなかった。東京都江戸川区や北区、渋谷区、千葉県市原市、奈良県桜井市では長く文化財審議委員等を務め、『市原市内仏像彫刻所在調査報告書(北部篇)・(南部篇)』(市原市教育委員会、1992・93年)、『江戸川区の仏像・仏画Ⅰ・Ⅱ』(東京都江戸川区教育委員会、2004年・13年)、『浅草寺什宝目録 第一巻 彫刻篇』(金龍山浅草寺、2018年)など多くの報告書の刊行に尽力。長く教壇に立った慶應義塾大学はもちろん、講師を務めた各大学や社寺調査を通じてその薫陶を受けた者も多く、厳しい指導を行う一方で教え子に囲まれた酒席を何より好んでいたことはよく知られている。
 著書に主要論文を収録した『日本彫刻史の視座』(中央公論美術出版、2004年)、長く講師を務めた近畿文化会が発行する『近畿文化』誌での執筆をまとめた『仏像好風』(名著出版、2004年)のほか、『奈良の仏像(アスキー新書)』(アスキー・メディアワークス、2009年)がある。編著に『日本の仏像大百科2 菩〓』(ぎょうせい、1990年)、『神像の美 すがたなきものの、かたち。(別冊太陽)』(平凡社、2004年)、共著として『平等院大観 第二・彫刻』(岩波書店、1987年)、『日本美術全集5 密教寺院と仏像』(講談社、1992年)など多数。論文に「仁和寺阿弥陀三尊像の造立年代の検討」(『佛教藝術』122、1979年)、「観心寺如意輪観音像の風景」(『日本美術全集5』講談社、1992年)、「房総の仏像―古代の造像を中心に―」(『國華』1265、2001年)、「初期の八幡神像祭祀とその造立過程―御調八幡宮の神像をめぐってー」(『國華』1351、2008年)ほか。業績は『紺野敏文先生 著作目録』(紺野敏文先生の傘寿をお祝いする会、2018年)に詳しい。

出 典:『日本美術年鑑』令和2年版(486-487頁)
登録日:2023年09月13日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「紺野敏文」『日本美術年鑑』令和2年版(486-487頁)
例)「紺野敏文 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/2040981.html(閲覧日 2024-06-23)

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