富岡惣一郎

没年月日:1994/05/31
分野:, (洋)
読み:とみおかそういちろう

 独自の白色を基調とする作品で、国際的に知られた新制作協会会員の洋画家富岡惣一郎は5月31日午後7時15分、急性腎不全のため東京都新宿区の東京女子医大病院で死去した。享年72。大正11(1922)年1月8日、新潟県高田市南本町2-12に生まれる。昭和14(1939)年新潟県立高田商業高校を卒業。同29年第18回新制作協会展に初入選。同35年より40年まで三菱化成工業株式会社のアートディレクターをつとめる。同36年第25回新制作協会展に「淡いもの」「黒いもの」を出品して新作品賞受賞。同37年同展に「黒い点B」「赤い点A」を出品して新制作協会賞受賞。また同年第5回現代日本美術展に「黒い線」を出品してコンクール賞を受賞する。同年第7回サンパウロ・ビエンナーレに「永久の流れ」を出品してサンパウロ近代美術館賞受賞。同年アメリカに旅行し個展を聞く。同40年より米国ニューヨークに住んで制作。同40年メキシコへ、同41年カナダ・アラスカへ、同42年カナダへ旅行。ニューヨーク滞在中は中間色を用いた平面性の強い抽象画を描いたが、異国にあって自らを育んだ、国土に根ざす制作が、国際的にも意味を持つことを認識する。同47年日本に帰国して三重県熊野に居住。翌48年1月より京都に住んで古くから描かれてきた日本の風景に取材して制作を始める。やがて画題を自らの郷里越後を含む雪国の風景にもとめるようになり、とりわけ雪の白さの表現に執着。トミオカ・ホワイトと賞称される、特殊な白絵具を大型のベインティングナイフで入念に塗り込んだ重厚なマティエール、その上に施された黒い線描で、墨絵風の閑寂な画風を築いた。同48年国立京都国際会館で、京都・熊野シリーズを展観する個展を聞いた後、同49年銀座和光及び札幌松坂屋で北海道シリーズを、同50年銀座和光で北海道東北シリーズを展観して、以降毎年和光で個展を開催。同59年「White No.1」で東郷青児美術館大賞受賞。平成3年新潟県八海山麓にトミオカ・ホワイト美術館が開設され、作品400余点が収蔵された。京王プラザホテルのステンレスエッチング壁画「雑木林」(昭和47年)、上越市庁館アルミエッチング壁画「雪国」(同51年)、長岡市図書館アルミエッチング壁画「雪国」(同61年)等公共施設への大規模壁画も制作。作品集に『富岡惣一郎白の世界」(同63年)等がある。

出 典:『日本美術年鑑』平成7年版(348-349頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月26日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「富岡惣一郎」『日本美術年鑑』平成7年版(348-349頁)
例)「富岡惣一郎 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10606.html(閲覧日 2024-04-19)

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