新妻実
アメリカ在住の彫刻家新妻実は8月に脳卒中で倒れ入院していたが、9月5日午後4時(日本時間6日午前5時)、ニューヨークの病院で死去した。享年67。昭和5(1930)年東京都に生まれる。同年東京芸術大学彫刻科に入学し石井鶴三に師事。在学中の同29年、モダンアート協会展に初入選。同会に出品を続け、同32年同会会員となる。同30年同校を卒業する。また、同年東京のタケミヤ画廊で個展を開催。また、同32年棕櫚会を結成してグループ展を開催する。同34年にニューヨーク市ブルックリン美術館附属美術学校より奨学金を得て渡米。同39年より45年まで同校彫刻科で講師をつとめる。同41年および43年にニューヨークのハワード・ワイズ・ギャラリーで個展。また、同41、43年のホイットニー美術館でのスカルプチュア・アニュアル展に出品する。同46年ニューヨーク国際彫刻シンポジウムを企画、主催し、翌年からニューヨーク・コロンビア大学美術科講師となり、後に助教授となって同59年まで教鞭をとった。同49年ニューヨークおよびスイス・ルガーノ国際大学院大学理事兼教授に就任。同58年ニューヨーク・ストーン研究所所長となった。この間、ニューヨークほかアメリカ各地およびチューリッヒなどで個展を開催したほか、同44年のオーストリア国際彫刻シンポジウム、同50年のアントワープ国際野外彫刻展、同56年のポルトガル国際シンポジウムなどに参加。また、同51年東京西武美術館で個展を開催、同52年第3回彫刻の森美術館大賞展に「水中の歌」を出品、同56年第2回ヘンリー・ムーア大賞展に「太陽とピラミッド」を出品して美ケ原美術館賞を受賞するなど日本でも作品を発表した。昭和40年代からシリーズで制作した大理石による「眼の城」で独自の作風を確立し、ニューヨーク、ポルトガルに拠点を持って、国際的に活躍した。石の素材自体が持つ色、質感を生かし、単純な幾何学的形態により量塊感ある抽象彫刻を制作した。
出 典:『日本美術年鑑』平成11年版(424頁)登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月25日 (更新履歴)
例)「新妻実」『日本美術年鑑』平成11年版(424頁)
例)「新妻実 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10561.html(閲覧日 2024-11-01)
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