乗松巌

没年月日:1997/05/11
分野:, (彫)
読み:のりまついわお

 二科会名誉理事で女子美術大学名誉教授の彫刻家乗松巌は、5月11日午後8時22分、老衰のため松山市の病院で死去した。享年86。明治43(1910)年5月23日、愛媛県松山市に生まれる。昭和4(1929)年松山中学校を卒業し、同10年東京美術学校図案科を卒業する。その後、水野欣三郎に師事して彫刻に志す。同13年第25回二科展に「首」で初入選。同16年第28回同展に「女」「若い女」を出品して二科賞を受賞。同18年第6回新文展に「立像」を出品し、戦後第2回日展に「婦人頭像」を出品して戦中、戦後の一時期、官展に参加している。しかし、同25年に二科会に復帰し同会会員となる。同28年第38回同展に「恐怖の均衡」の連作である「シジフオス」「ひと」「おんな」を出品して会員努力賞を受賞。同35年に渡欧し約6ケ月間滞在し、この間、イタリア、ギリシャの古典彫刻に注目して研究した。同50年第60回二科展に「道」連作中の「使者」2点を出品して東郷青児賞を受賞。同55年第65回同展に「魅惑の果て」「シーシュポス」などを出品して二科会文部大臣賞を受賞する。同56年郷里の愛媛県立美術館で弟乗松俊行と兄弟展「彫刻と備前焼展」を開催し、また同年東京のストライプハウス美術館で個展を開いた。ヨーロッパをはじめ、中近東、アフリカ、アメリカなど世界の原始から近世におよぶ美術の源流に興味を抱き、たびたび海外へ遊学、特にヒルデブラントの「造形における形式の問題」に関心を抱いていた。同21年から女子美術大学で教鞭を取り、同28年より同教授をつとめ、ながく後進の指導にもあたった。平成6(1993)年10月松山市小坂に乗松巌記念館「エスパス21」が開館されている。

出 典:『日本美術年鑑』平成10年版(394頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月25日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「乗松巌」『日本美術年鑑』平成10年版(394頁)
例)「乗松巌 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10558.html(閲覧日 2024-03-30)

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