錦戸新観

没年月日:1995/04/16
分野:, (彫)
読み:にしきどしんかん

 仏像彫刻家の錦戸新観は4月16日午前11時45分、心不全のため東京都田無市の回無第一病院で死去した。享年87。明治41(1908)年1月28日、茨城県下妻市大宝に生まれる。本名新一郎。昭和5年より10年まで山本瑞雲に師事して木彫を学ぶ。同15年茨城県関城町立正寺のために日蓮上人坐像を制作。同20年東京都多摩郡稲城町の妙見寺の僧松野光観に入門し、得度して天台宗の僧籍に入る。これに伴い本名を光深に改める。同22年第3回日展に十一面観音像で初入選する。同像は現在、東京都新宿区下落合薬王院に安置されている。以後日展に同26年まで出品を続ける。同28年、同26年の日展出品作である不動明王三尊仏の台座、光背を制作し大本山音羽護国寺本堂に安置する。同32年日本橋高島屋で初めての個展を開崖。同年大本山浅草寺本堂のために梵天・帝釈天像を制作。同39年立正佼成会大聖堂に安置すべく久遠実成釈迦牟尼如来像を制作、また同年浅草寺宝蔵門のために仁王尊阿形像を制作する。同40年インド、セイロン、シンガポール、タイを訪れ各地の仏像を研究。この頃の造像にはインドの仏教彫刻に学んだ点が見いだせる。同年浅草寺よりセイロン国総督へ聖観世音菩薩像を贈り、翌年同寺より釈迦牟尼如来像をセイロン国アヌラダプラ・エスルムニヤ精舎の大長老に贈るなど、セイロンにも作品が渡った。同41年伝教大師幼形像を比叡山坂本生源寺本堂に安置。同42年第2回個展を日本橋高島屋で開催した。同45年伝教大師等身像を総本山延暦寺に寄進し、その功により天台座主即真周湛大僧正より法眼位を授与される。同46年浅草寺五重塔院内聖観世音菩薩像を制作。同47年米国ハワイを訪れる。同48年川崎大師平間寺信徒会館の大日如来像を制作、また同年ハワイ天台別院院庭に樹脂製の十一面千手観世音菩薩像を建立する。また同50年ハワイ高岩寺本堂地蔵菩薩像を制作。同51、53年にもハワイへ赴いた。同56年、54年に制作した馬頭観世音菩薩像を品川本覚寺本堂に安置したほか、川崎大師五重塔院内五智如来レリーフ、弘法大師像、興教大師像、恵果阿闇梨像、茨城県県社大宝八幡宮御神体、横浜市善光寺大日如来三尊像、品川区大崎観音寺如意輪観音像などを制作、安置し、平成4年仏教伝道文化賞を受賞した。日本橋高島屋での個展は同47、51、54、60年に開催されている。信仰によって仏を感得して造像する姿勢を貫き、多様な古典様式に現代的感性を融合させた。

出 典:『日本美術年鑑』平成8年版(318頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月25日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「錦戸新観」『日本美術年鑑』平成8年版(318頁)
例)「錦戸新観 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10553.html(閲覧日 2024-04-25)
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