尾田龍

没年月日:1992/05/01
分野:, (洋)

 国画会会員の洋画家尾田龍は5月1日午前9時12分、急性心不全のため、東京都杉並区の河北総合病院で死去した。享年85。明治39(1906)年8月21日、兵庫県姫路市に生まれる。大正14(1925)年姫路中学を卒業して上京。川端画学校に学び、翌15年に東京美術学校西洋画科に入学するが、当初は文学や演劇に熱中した。昭和3(1928)年より川島理一郎の金曜会に出席する。同4年、進学とともに絵画に専念し、同年の第16回二科展に「朝の聖堂」で初入選。同年1930年協会展にも「虚墟」「工事場」で入選し、第1回国際美術協会展に「雨後」「麦畑」を出品して国際美術協会賞を受けた。翌5年にもこれらの会に出品。同6年東京美術学校を卒業する。同7年東京市一橋高等小学校美術教師となり、以後59歳で姫路西高校を退くまで長く教職にあって画業を続けた。同12年まで二科会に出品したが、翌15年より国画会に参加、同19年同会会友となった。同20年戦火を避けて帰郷。同21年第20回国画会に「塑像」「菩薩像」を出品する一方、姫路市展開設委員となり、その第1回展に「菩薩頭」「明月」「門」を出品して姫路市長賞を受けた。以後、同展と国画会展を中心に活動。同27年国画会会員となる。同28年富士製鉄株式会社(同45年新日本製鉄となる)の季刊誌に表紙絵を依頼されたことから製鉄に取材した作品を描くようになり、同33年第32回国画会展に「製鉄所の人々(熔鉱炉)」「製鉄所の人々(平炉)」を出品して以降「鉄をつくる」を主題に連作を続け、同42年に至った。同42年中近東、ヨーロッパ、同43年ケニア、タンザニアを訪れ、同51年にはソ連を経由して英、西、ベルギー等を旅した。この間、同44年姫路文化賞、同50年兵庫県文化賞を受賞。同48年より同57年まで姫路学院女子短大教授をつとめた。同54年大阪日動画廊で「尾田龍画業50年記念展」、同61年に姫路市立美術館で「画業60年 尾田龍展」、同年姫路のヤマトヤシキ百貨店で「傘寿記念 尾田龍の世界」展が開かれており、画集に『アフリカスケッチ 尾田龍』(昭和45年)、『尾田龍画集1982』(車木工房出版 同57年)、自叙伝に『春風秋雨』(同61年)がある。

出 典:『日本美術年鑑』平成5年版(317頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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