奥山藤一

没年月日:1991/01/10
分野:, (洋)

 一水会会員の洋画家奥山藤一は1月10日午後6時18分、肺炎のため京都市の社会保険京都病院で死去した。享年79。明治44(1911)年10月1日、京都市上京区に生まれる。三重県で中学校を卒業後、昭和5(1930)年関西美術院に入学。同年より鹿子木孟郎の画塾にも入門し、鹿子木の没する昭和16年までその指導を受ける。この間、同10年渡欧し、スペインのマドリッドでベラスケスを研究し、オランダへ渡ってレンブラントについて研究、模写を行った。同13年、ヨーロッパでの戦況激化により帰国。鹿子木の没後その遺志を継いで京都日仏学館で後進の指導に当たった。戦後は健康を害して長らく療養生活を強いられ、同30年代後半に画壇に復帰し一水会展に出品を始め、同41年第9回日展に「法界寺阿弥陀如来」で入選する。同45年第32回一水会展に「三十三間堂開扉」を出品して一水会賞を受賞。翌46年同会会員となり、翌47年第34回同展出品作「開扉」は同会会員優賞を受けた。また、同年の第4回改組日展には「開扉」を出品して特選となる。この後、再び渡仏しロマネスク、ゴシックの寺院にひかれ、同49年第6回改組日展に「薔薇の窓」を出品したのち数年間、西欧中世の建築をモチーフとしたが、そのほかは一貫して仏像や仏教建築を題材として描き続けた。

出 典:『日本美術年鑑』平成4年版(281-282頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2019年06月06日 (更新履歴)
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