黒光茂樹

没年月日:1993/03/21
分野:, (日)
読み:くろみつしげき

 日展会員の日本画家黒光茂樹は、3月21日午前6時21分、心不全のため京都市中京区の病院で死去した。享年83。明治42(1909)年7月25日、愛媛県周桑郡に生まれる。大正14(1925)年、京都に出て、金島桂華に入門、昭和5(1930)年には京都市立絵画専門学校予科に入学。在学中の同9年、第15回帝展に「瓜田」が初入選。同13年、同校研究科を卒業、この年の第2回新文展に「花圃立夏」入選、以後新文展、戦後の同22年からは日展に出品をつづけ、同28年の第9回日展に出品した「青銅」が特選(白寿賞・朝倉賞)となる。同26年、関西総合美術展開催にあたり、同展は塾単位の出品を原則としていたため、桂華が主宰する「衣笠会」に会員として参加し出品した。同会は桂華が没した翌年の同50年まで独自に展覧会を年に一度開催していたが、この年の第17回展をもって解散した。また、同28年、東西作家合同による龍土会が結成され参加した。同34年には、第一回個展開催(大阪高島屋画廊)、同38年まで毎年開催した。同48年、改組第4回日展では審査員をつとめ、翌年から同展会員となる。同51年4月、愛媛県立美術館で黒光茂樹展開催。同60年から3年間をかけて、妙心寺霊雲院(御光の間)の障壁画を制作。同62年、第5回京都府文化賞受賞。自然の一角を、非常に計算された講成でまとめあげた作品を多く残した。

出 典:『日本美術年鑑』平成6年版(320頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月26日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「黒光茂樹」『日本美術年鑑』平成6年版(320頁)
例)「黒光茂樹 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10379.html(閲覧日 2024-04-26)

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