瀬戸團治
日展参与の彫刻家瀬戸團治は7月1日午後5時45分、心不全のため長野県岡谷市の病院で死去した。享年85。明治38(1905)年9月13日、長野県辰野町に生まれる。大正11(1922)年同県上伊那郡伊北農商学校農科を卒業。同13年上京して鶴田吾郎に洋画を学び、翌年曽宮一念に学ぶ。昭和2(1927)年頃より太平洋画会研究所に入り、中村不折、中村彝、中川紀元らに師事。同4年郷里に帰り小学校教員となり、以後11年間在職する。この間の同8年、構造社の斎藤素巌に彫刻を学び、翌年構造社展に初入選、以後出品を続ける。また、同11年文展鑑査展に「女の首」で初入選。13年第2回新文展にも「K子胸像」で入選。同19年帰郷し、農業を営みながら制作を続ける。戦後も日展に出品を続け、同25年第6回日展出品作「たか子さん」、翌26年第7回同展出品作「静姿」で2年連続特選受賞。同33年日展会員となり、同57年同参与となった。人物像、肖像を得意とし、写実を重視した堅実な作風を示した。動きの少ない静的なポーズを好み、モデルの存在への敬意を漂わせる。
新文展、日展出品歴
昭和11年鑑査展「女の首」、第2回新文展(同13年)「K子胸像」、4回「立女」、5回「立つ」、6回「男」、日展第1回(同21年春)「裸婦」、2回「男の胸像」、3回「裸婦座像」、4回「裸婦」、5回「女の首」、6回「たか子さん」(特選)、7回「静姿」(特選、朝倉賞)、8回「信濃の娘」、9回「五三年夏の作」、10回(同29年)「静立」、11回「立女」、12回「直立」、13回「立女」、社団法人日展第1回(同33年)「黒塚(市川猿之助氏)」、2回「山によせて」、3回「坦路」、4回「立像」、5回「月光」、6回「静」、7回「静立」、8回「静夜」、9回「香」、10回「裸の塔」、11回「三面」、改組第1回(同44年)「裸像」、2回「一九七〇年作」、3回「裸身仏心」、4回「二柤一如」、5回「龍膽」、6回「静寂」、7回「晨」、8回「如人」、9回「土器を持つ」、10回(同53年)「寂」、11回「山びこ」、12回「首」、13回「女の首」、14回「男の首・D」、15回「画人N先生」、16回から21回(平成1年)不出品
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
例)「瀬戸團治」『日本美術年鑑』平成4年版(298頁)
例)「瀬戸團治 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10337.html(閲覧日 2024-10-16)
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