山田光春

没年月日:1981/06/29
分野:, (洋)

 主体美術協会創立会員の洋画家山田光春は、6月29日午後9時25分、肺ガンのため名古屋市中央区の国立名古屋病院で死去した。享年69。1912(明治45)年3月21日愛知県西加茂郡に生まれ、34(昭和9)年東京美術学校を卒業、宮崎県に中学校教師として赴任し、宮崎美術協会創立に参加したのを契機に、瑛九を識る。その後愛知県に戻り、37年の第1回自由美術家協会展に「門」(ガラス絵)等6点を出品して協会賞を受賞、会友に推挙された。以後同展に毎回出品し、40年第4回美術創作家協会展(自由美術改称)出品作「一人」「二人」により、会員に推挙される。またガラス絵に対する関心も深く、48年日本硝子協会の創立に参加、以後毎年出品している。52年には創造美育協会を創立、また64年に自由美術協会を退会して主体美術協会の創立に参加した。美術教育に於ける尽力が大きく、東海地方の多くの美術文化活動に携わったほか、愛知県立女子大学、大垣女子短期大学などで教鞭をとった。著作に「瑛九の会」の機関誌での連載をまとめた『瑛九』(青龍洞76年)、『藤井達吉の生涯』(風媒社)、『よい絵よくない絵』(黎明書房)などがある。没後勲三等瑞宝章を受章

出 典:『日本美術年鑑』昭和57年版(278頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2019年06月06日 (更新履歴)
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