松田忠一

没年月日:1983/07/31
分野:, (洋)

一水会常任委員の洋画家松田忠一は、7月31日午前4時45分、脳出血のため大阪市の自宅で死去した。享年89。明治27(1894)年4月19日、島根県出雲市に生まれ、大正7年東京美術学校図画師範科を卒業する。同14年より2年間フランスに留学、昭和6年にもフランスに渡り1年間滞在。翌7年帰国して「騎士と二人の女」「馬と女」を第19回二科展に出品し初入選する。翌年から石仏や仏像を描いた作品を同第23回展まで出品。同11年に有島生馬石井柏亭らによって創立された一水会に第1回展から出品し、同22年同会会員となる。同29年同第16回展に「阿修羅」「伎芸天」を出品して会員優賞を受賞し、同35年同会委員となり、同55年まで出品を続けている。日展にも出品しており、同29年第10回展では「阿修羅」で特選。同31年第12回展では「三月堂内陣」で岡田賞を受け、翌年より無鑑査、同41年には審査員をつとめた。一貫して京都、奈良の古仏をモチーフとし、背景に神像や飛天を描きこんで仏世界を表わしている。水墨画、書もかき、大湖とも号した。

出 典:『日本美術年鑑』昭和59年版(313-314頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「松田忠一」『日本美術年鑑』昭和59年版(313-314頁)
例)「松田忠一 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10117.html(閲覧日 2024-03-28)
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