高橋虎之助

没年月日:1984/01/08
分野:, (洋)

太平洋美術会会長の洋画家高橋虎之助は、1月8日胃ガンのため東京都練馬区の北町病院で死去した。享年93。明治23(1890)年7月4日高知県高岡郡に生まれ、高知県立農林学校卒業後、大正元年上京し太平洋画会研究所に入り中村不折満谷国四郎らの指導を受ける。大正3年の大正博覧会に「漁村の斜陽」が入選、同5年第10回文展に「関川の春」が入選したのを始め、文展、帝展、新文展(無鑑査)に出品する。この間、大正12年から2年間渡仏し、同12年のサロン・ドートンヌに「ジャルダン」が入選した。太平洋画会に所属し、同展に出品するとともに太平洋美術学校で教えた。戦後は太平洋画会(現太平洋美術会)の重鎮として会の運営にあたり、のち同会会長となる。風景画を得意とし、作品は他に「春日の杜」(大正7年)、「アトリエの庭」(同13年)などがあるが、90歳を越してから裸婦像に取り組むなど晩年まで意欲的な制作を続けた。

出 典:『日本美術年鑑』昭和60年版(239頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「高橋虎之助」『日本美術年鑑』昭和60年版(239頁)
例)「高橋虎之助 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10112.html(閲覧日 2024-04-20)
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