大久保泰
洋画家で美術評論家の大久保泰は1月29日午後11時10分、再生不良性貧血のため東京都渋谷区の都立広尾病院で死去した。享年83。明治38(1905)年3月28日、愛知県豊橋市に生まれる。本名泰。父が原富岡製絲所に勤務しており、原富太郎の感化で与謝野鉄幹・晶子、島崎藤村、山本鼎らと交遊があった関係で、少年期から文学、美術に興味を抱き、山本鼎に油絵の指導を受ける。大正12(1923)年早稲田第一高等学校に入学し、昭和3(1928)年早稲田大学商学部を卒業。同6年から7年にかけて欧米に渡り、ロンドンで野口弥太郎を知り、のち兄事する。帰国後は児島善三郎にも兄事する。同11年第11回国画会展に「静物」で初入選。翌12年第15回春陽会展に「少女」で初入選し、同14年より独立展へ出品を続ける。同16年、ギリシア彫刻に関する随筆『古式の笑』が春鳥会から刊行され、文筆家としても注目される。同22年第15回独立展に「子供」「黒い羽織」「少女」を出品して独立賞を受賞、24年第17回同展では「裸婦」で岡田賞を受け、25年同会会員となる。同27年新樹会会員となり、同31年まで出品。同38年より同志とレアリテ展を毎年開催する。39年より隔年ごとに渡欧し、フランス、スペイン、イタリアなどの風景を多く描いた。明快な色調、軽妙な筆致を特色とする。文筆活動においても、現代美術随想集『空しき花束』(昭和23年、講談社)、『デュフィの歌』(同24年、毎日新聞社)、『ゴーギャン』(同年、アトリエ社)、『西洋名画の話』(同26年、美術出版社)、『近代絵画の話』(同27年、宝文館)、『宿命の画家達』(同年、中央公論社)、『絵の歴史2』(同28年、美術出版社)、『ファン・ゴッホ フィンセント』(同51年、日動選書)のほか、講談社のアート・ブックス・シリーズの『ゴッホ』『ゴーギャン』『デュフィ』等、後期印象派の画家たちの巻を執筆、西洋近代画家たちを広く世に知らせるとともに、それらの知識にもとづく現代美術評論を行なった。昭和62年「ヨーロッパの輝きと陰り 大久保泰展」(日動サロン)が開かれ、生前最後の個展となった。(年譜は同展目録に詳しい。)
出 典:『日本美術年鑑』平成2年版(233頁)登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
例)「大久保泰」『日本美術年鑑』平成2年版(233頁)
例)「大久保泰 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10038.html(閲覧日 2024-10-05)
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