宗廣力三

没年月日:1989/11/21
分野:, (工,染)

紬縞織、絣織の人間国宝宗廣力三は、11月21日午前7時57分、ジン不全のため神奈川県小田原市の小田原市立病院で死去した。享年75。大正3年4月25日岐阜県郡上郡に生まれ、昭和7年岐阜県立郡上農林学校を卒業する。12年青年の修養道場凌霜塾の主事として塾生の指導にあたり、13年大日本青少年独逸派遣団員として渡欧、ドイツを中心に半年間各地を巡遊する。18年羊の飼育からホームスパンを試作。兵役で満州に渡ったのち、戦後帰還し、大正中頃にすたれていた郡上紬織の復興を志す。郷里の郡上郡は、古くからの絹産地であった。22年京都市染織試験場長浅井修吉に染料についての指導を請い、天然染料と絣を研究する。郡上郡那留ケ野で大平開拓農場を営みながら、古い縞帳や手織機から紬織を研究。インドのエリ蚕を飼育し、家蚕の手紡糸、玉糸に一部エリ蚕を使う。28年には郡上工芸研究所を開設、研究生の育成にあたるとともに、郷土産業としての郡上紬の振興に尽力した。32年同研究所を八幡町初音に移転。また30年、河井寛次郎を知る。33年中央公論画廊で初の個展郡上織展を開催し、翌年には河井寛次郎の推薦で京都高島屋で第2回個展を開催。市場開拓にもつとめ、43年には郡上染織資料館を開館、内外の染織資料を展示する。また40年第12回日本伝統工芸展に「紬織着物・素」「紬織着物・やすらぎ」、同年の第2回伝統工芸日本染織展に「エリ蚕紬・残光」「エリ蚕紬・たそがれ」「エリ蚕紬・早春」がともに初入選した。以後両展に出品を続け、42年第4回伝統工芸日本染織展で「紬格子着物」が東京都教育委員会長賞、翌43年同第5回「紬織着物・待春」が文化財保護委員会委員長賞を受賞。45年第17回日本伝統工芸展「紬織着物・流動文」は日本工芸会長賞を受賞し、44年日本工芸会正会員となった。この間、36年岐阜県芸術選賞、40年岐阜県芸術文化賞、43年岐阜県知事表彰を受賞し、57年八幡町名誉町民章を受ける。また52年岐阜県無形文化財保持者に指定され、57年には、紬縞織、絣織により国の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。主要個展には、上記のほか、47年大阪の阪急百貨店、58年の東京銀座和光での個展がある。また58年、アメリカ各地を巡回した「人間国宝米国展」、東京国立近代美術館「伝統工芸30年の歩み」展に出品し、60年同じく東京国立近代美術館で開催された「現代染織の美-森口華弘宗廣力三・志村ふくみ」展には26点を出品している。タテとヨコの方向性を基調とした端整な構図と紋様に、微妙な濃淡と繊細な色彩感覚による染色を施した優品を、数多く残した。55年健康上の理由から神奈川県南足柄市に移り、「南足柄工芸研究室」を開設、門下生とともに同地方の草木を染料とした「足柄紬」を創り出した。61年、画集『宗廣力三作品集』(日本経済新聞社)が刊行されている。

出 典:『日本美術年鑑』平成2年版(256頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「宗廣力三」『日本美術年鑑』平成2年版(256頁)
例)「宗廣力三 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9803.html(閲覧日 2024-04-25)

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