鹿児島寿蔵

没年月日:1982/08/22
分野:, (工,人形)

 紙塑人形の創始者でアララギ派の歌人でもあった人間国宝鹿児島寿蔵は、8月22日午後9時1分、脳血栓のため東京・文京区の日本医科大学付属病院で死去した。享年83。1898(明治31)年12月10日福岡市に生まれる。1913年小学校卒業後、教育材料を作る製作所に就職し、博多人形に彩色する仕事に従事、工場長格だった有岡米次郎が独立すると彼に師事し、人形制作に打ち込む。17年には福岡市内に窯を築いてテラコッタ風の手稔り人形等を作り、20年個展も開催、この間18年一時上京し岡田三郎助の本郷洋画研究所でデッサンを学んでいる。20年人形改革の志を抱いて上京し、30年には野口光彦堀柳女らと人形美術団体「甲戌会」を結成した。また同年夏頃より和紙を材料とした紙塑の研究に没頭し、コウゾ、ミツマタなどの繊維に胡粉、陶土、パルプや木材の粉末を加えて練り固め、乾燥した原型に自ら染めた和紙や金銀砂子などで装飾していく「紙塑人形」の技法を、32年に完成する。33年日本紙塑芸術研究所を開設し、人形の出品が初めて認められた36年第1回改組帝展に「黄葉」を出品、高い評価を受ける。また38年には、それまで「ヌキ(型抜)」と称していた人形材料の鋸屑練物を「桐塑」と命名する。一方、歌人としての活動も上京後まもなくより始まり、「アララギ」で島木赤彦、土屋文明に師事、28年より10余年にわたって「歌壇風聞記」を『アララギ』に連載、45年には潮汐会を結成し機関誌『潮汐』を発行、また46年『アララギ』の再興第1号を編集発行するなど活発な活動を展開し、その豊かな文学的素養は、ロマンティックな彼の人形の造型にも大きく影響する。この時期の人形作品には「稚児大師」「大寿親王比奈」「まんだらの糸」「軍鼓打つ少年」等があり、新文展等にも入選している。戦後46年、日本著作家組合中央委員美術部代表、日本著作権協議会理事・専門委員となり、日本工芸会、日本伝統工芸展でも要職を歴任した。「竹の響」「卑弥呼」「志賀島幻想箕立之事」「奈良朝風智恵の女神ミネルヴァ紙塑像」「若き工人たち」「大森みやげ」「地久」「秘芸曲独楽」「鵜川」「シルクロードの星」「にぎたづ」など、和紙の持つ柔らかさや温かさを生かした叙情性豊かな人形の数々は、伝統的である一方、異国情緒溢れる現代性も併せ持つ。61年重要無形文化財(人間国宝)の指定を受け、67年文化財保護審議会専門委員(77年同会工芸技術部会長)、同年紫綬褒章、73年勲三等瑞宝章受章。また63年以来宮中歌会始選者をたびたびつとめ、68年歌集『故郷の灯』(短歌研究社)を出版、第2回迢空賞も受賞。人形と短歌、2つの道に足跡を刻んだ。

出 典:『日本美術年鑑』昭和58年版(282-283頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2016年11月15日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「鹿児島寿蔵」が含まれます。
to page top