赤松俊秀

没年月日:1979/01/24
分野:, (学)

文化財保護審議会専門委員、歴史的風土審議会専門委員、仏教美術研究上野記念財団評議員、四天王寺女子大学教授、京都大学名誉教授、文学博士赤松俊秀は、1月24日脳出血のため京都市北区の自宅で死去、享年71。1907(明治40年)4月28日、北海道石狩国上川郡に生まれ、北海道町立旭川中学校、第三高等学校を経て、28年京都帝国大学文学部に入学、国学史を専攻、31年卒業後文学部副手となった。32年京都府史跡勝地保存委員会臨時委員を嘱託されてより51年京都府教育委員会の初代文化財保護課長を退職するまでの19年間、戦中戦後の、京都府の史跡、寺宝等の文化財の調査と保存に専念した。その間、京都帝国大学文学部、大谷大学(教授嘱託)、同志社大学(61年まで)に出講、51年京都大学文学部助教授に就任、53年教授に昇任、62年文学博士の学位を授与され、65年文化財保護審議会専門委員に任命され、71年京都大学を定年退官し、京都大学名誉教授の称号を受けた。その間、愛媛大学、香川大学、岡山大学、関西学院大学、東北大学、名古屋大学、大谷大学へ出講、72年大谷大学文学部教授に、75年四天王寺女子大学教授に就任、74年には多年に亙る文化財保護の功績により紫綬褒章を授けられた。
 その日本古代、中世史研究は、仏教、社会経済、政治、美術、文学、古文書と多方面に及び、主要著書としては、『鎌倉仏教の研究』(1957年、平楽寺書店)、『続鎌倉仏教の研究』(66年、平楽寺書店)、『古代中世社会経済史研究』(72年 平楽寺書店)、『京都寺史考』(同年、法蔵館)、『平家物語の研究』(80年、法蔵館)があり、史料公刊には『醍醐寺新要録』(51~53年、京都府教育委員会)、『隔冥記』(58~67年、鹿苑寺)、『教王護国寺文書』(60~72年、平楽寺書店)等がある。

出 典:『日本美術年鑑』昭和55年版(260頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

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例)「赤松俊秀」『日本美術年鑑』昭和55年版(260頁)
例)「赤松俊秀 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9738.html(閲覧日 2024-04-18)

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