鳥居清忠〔8代目〕

没年月日:1976/07/13
分野:, , , (日,舞)

日本画家で舞台美術、TVの分野にも活躍した鳥居清忠は、7月13日肺ガンのため神奈川県伊勢原市の東海大附属病院で死去した。享年75。明治33(1900)年11月21日鳥居派七代目宗家の家に生れ、大正3(1914)年立教中学を中退して小堀靹音に師事し、大和絵、有職故実を学んだ。翌年には言人と号し、絵の修業をする傍ら“演芸画報”などの挿絵や、芝居の絵番附などを描いた。大正7年(1918)芝居絵に関連する画だけにあきたらずして、鏑木清方に師事して、美人画を学んだ。昭和4(1929)年には鳥居派八代目を継承し、この頃より“言人版画”という美人画版画を数多く制作した。昭和10年号を清言と改め、専ら作画生活をつづけ、昭和27年美人画「髪」が第8回日展に入選した。昭和16(1941)年父七代目清忠死去により、昭和37(1962)年父の名跡をついで清忠と改名した。鳥居派は、抑揚ある線描、けばけばしい泥絵具、瓢箪のような足の形など独特の様式を具え、歌舞伎の絵看板などとは不離の関係にあって懐しいものだが、清忠のあと後継者がない。清忠のほか、戦争中から昭和45年の春まで歌舞伎の看板は、先代清忠の弟子鳥居忠雅がかいていた。昭和45年忠雅急逝し、清言が再び歌舞伎の看板をかくようになった。なお清忠は昭和41(1966)~47(1972)日本大学芸術学部演劇科の講師をつとめ、舞台美術について教えていた。

出 典:『日本美術年鑑』昭和52年版(283頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

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例)「鳥居清忠〔8代目〕」『日本美術年鑑』昭和52年版(283頁)
例)「鳥居清忠〔8代目〕 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9631.html(閲覧日 2024-03-28)
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