渡辺義知

没年月日:1963/02/17
分野:, (彫)

 彫刻家、元二科会々員渡辺義知は、2月17日脳軟化症のため東京都豊島区の自宅で逝去した。享年73才。明治22年4月11日東京の都心、銀座で生れた。はじめ日本美術学校で彫刻を研修、大正末年頃より二科展彫刻部に作品を発表しはじめ、第12回二科展(大14)に「女の首」、第13回二科展に「マダムAの首」「マルマゲの首」など初期には頭像を主に出品した。昭和3年第15回展で「泉の一部」他2点で二科賞を受け、同会会友に推され、昭和6年3月には会員に推挙された。同年、二科会の研究所である番衆技塾の指導者になり、先輩の藤川勇造と共に彫塑科を担当指導した。昭和7年渡欧した。以来二科彫刻の中心的存在となり、殊に昭和8年から戦争渦中にかけて、連年二科展に発表した「国土を譲る」の記念像連作は、時局精神作興の要望に応え、斯界における有力作家としての名声を高からしめた。戦後、二科会復活に逸早く参加したが、昭和21年、民主日展への参加問題に関する意見の衝突のため、同会から除名され退かざるを得なかった。晩年の主な作に、「シジフォス」(昭35・第3回日展招待)、「白雲」(昭36・第4回日展招待)や「広島赤十字原爆殉職者慰霊塔」(昭36)などがある。

出 典:『日本美術年鑑』昭和39年版(127頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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