川瀬巴水

没年月日:1957/11/07
分野:, (版)

 木版画家川瀬巴水、本名文治郎は、大田区の自宅に於て胃癌のため逝去した。享年75歳。明治16年5月18日東京市芝区に生れた。14歳の折、川端玉章門下の青柳墨川に、のち更に荒木寛友について日本画を学んだが、両親の反対で一両年で中絶、家業の組糸業に従事していた。その後家業衰微し、26歳のとき鏑木清方のすすめで葵橋の旧白馬会研究所に通い、洋画の基礎を学び、約2年後、清方の許に入門した。この間岡田三郎助を知りその指導をうけている。巽画会、烏合会の展覧会に出品受賞したこともあるが、大正7年、伊東深水の木版画「近江八景」をみて版画に興味をおぼえた。たまたま、渡辺版画店の知遇を得て、新版画創作の情熱を抱いていた両者は協力して新作に努めることとなつた。大正7年「塩原おかね路」「塩原畑下り」「塩原塩釜」3点の木版画を同店から初めて出版した。当時、主として洋画家系の唱える自画、自刻、自摺の創作版画運動に対し、浮世絵以来の伝統的木版技術を現代に生かそうとして、橋口五葉、伊東深水、巴水等の新様式の版画が生れたのであつた。この年以来巴水は版画作成をめざし、しかも風景画一途の制作に入つていつた。全国を旅行し、作画し、処女作以来木版画出版467点に及んでいる。昭和28年、文化財保護委員会により、木版技術保存のため制作記録を作成、永久保存することとなり、巴水は「増上寺の雪景」を制作、その間の記録がとどめられた。なお版画出版は殆ど渡辺版画店であつたが、「伊せ辰」「川口酒井合版」など他の版元からの出版もある。没後の33年、全作品、日記、制作日誌を含む「川瀬巴水」(楢崎宗重著 渡辺版画店発行)が出版される。
作品略年譜
大正7年 「塩原おかね路」「塩原畑下り」「塩原塩釜」の3点を初めて渡辺木版画店より出版。
大正8年 「塩原あら湯路」「伊香保の夏」等仙台、十和田湖方面に旅行。
大正9年 房州、金沢、塩原へ旅行、「旅みやげ」第1輯完成、「松島桂島」「石積む船」「井頭残雪」等、版画家としての地位を確立する。
大正10年 関西、北越地方旅行、「旅みやげ」第2輯完結。「谷中の夕映」「宮嶋晴天の雪」等。第1回新作版画展ひらき39点出品。
大正11年 九州へ旅行。「日本風景選集」36枚の大作にかかる。「雪の増上寺」等。白木屋で第2回新作版画展。
大正12年 関東大震災で写真帖188冊すべて焼失 関西以西へ長期写生旅行に出る。
大正14年 雑誌「日本及び日本人」の東京復興百景に20図をかく。唯一の美人画「ゆく春」を描く。
大正15年 東北地方旅行。「日本風景選集」完成。
昭和3年 四国、九州へ旅行。「池上本門寺」「星月夜(宮島)」等。
昭和5年 郷土会15回展で巴水版画展を行い、127点出品。「馬込の月」等。
昭和6年 「日光華巌の滝」「中禅寺歌ヶ浜」。
昭和7年 東北、北海道に旅行。第3回現代創作版画展に97点出品。近代浮世絵版画展に74点出品。米国トレード博物館日本版画展に出品。
昭和8年 「日本風景集東北篇」24図完成。日本美術協会第93回展「冨士川の夕」(銅賞)。「松島材木島」「奥入瀬の秋」。この年から翌年にかけ、肖像画を思いたち、多くのスケッチをする。
昭和10年 「平泉中尊寺」「薩捶峠の冨士」この頃から数年間不調の時代つづく。
昭和14年 朝鮮に旅行「扶余落花巌」「平壌の春」。
昭和19年 塩原に疎開「吉田の冨士」(大判)。
昭和23年 帰京、池上に居住、日本橋三越で巴水肉筆展開く。
昭和25年 気分転換のため2、3役者絵を制作。
昭和28年 記録の措置を講ずべき無形文化として木版技術の記録保存が計画され、制作者に選ばれる。
昭和30年 銀座松屋の現代版画五人展に加わる。
昭和32年 「平泉金色堂」(絶筆)。
楢崎宗重川瀬巴水」(渡辺版画店出版)により作成。

出 典:『日本美術年鑑』昭和33年版(173頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「川瀬巴水」が含まれます。
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