石川確治

没年月日:1956/02/14
分野:, (彫)

 元文帝展無鑑査、日展出品依嘱者石川確治は、2月14日脳溢血のため、東京都荒川区の自宅で逝去した。享年74歳。号方堂。明治期の彫刻家石川光明の女婿。明治14年8月8日山形県東村山郡に生れた。明治38年東京美術学校彫刻科本科を卒業、41年第2回文展に「花の雫」が初入選となり、以後毎回出品、第4回展「化粧」、第7回展「木蓮」、第9回展「はなちる音」で3回褒状をうけている。帝展では、第2回展以後は無鑑査となり、大正11年第4回展から審査委員をつとめた。昭和10年、松田改組に際し、小倉右一郎、日名子実3等、旧帝展第三部無鑑査級の有志とともに、反帝展を標榜して第三部会を結成、同年第1回展をひらいた。第三部会は昭和15年に国風彫塑会と改称したが第二次大戦中解散し、戦後は日展に所属した。作品は木彫であるが、明治末年の「トーマス・ライト像」昭和14年作「呉秀三博士像」など、塑像も僅にみられる。なお、代表作品として作者は木彫に「女性」(大正10年)、採薬(同13年)、童舞(同14年)、安宿媛像(昭和5年)、瑞桃(同9年)、塑像に呉秀三博士像(昭和14年)などを自選している。著書に「支那上代彫刻」(編集)、歌集「山沢集」がある。

出 典:『日本美術年鑑』昭和32年版(173頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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