伊砂利彦

没年月日:2010/03/15
分野:, (工)

 染色作家の伊砂利彦は3月15日、肺がんのため死去した。享年85。1924(大正13)年9月10日、伊砂藤太郎、正代の長男として京都市中京区三条猪熊町に生まれる。実家は3代続いた友禅の糊置き業であった。1941(昭和16)年京都市立美術工芸学校彫刻科卒業。44年に海軍二期予備生徒として滋賀海軍航空隊に入隊。45年終戦とともに復員。京都市立絵画専門学校図案科卒業。以後、家業の染色に従事する。戦後の失業者救済事業として、友禅染を元来の分業ではなく一貫作業で行う工房の経営を任される。この経験は、複雑な染色工程や技術を学ぶ機会となった。その後、仕事増加により生活も安定する一方、作品の制作をはじめる。富本憲吉の「模様より模様を作らず」に感銘を受け、同氏が主催する新匠会で活躍することとなる。当初は蝋纈染の作品を制作していたが、その後、型絵染へと表現技法が変化していく。そこには初期の新匠会を牽引し、型絵染で活躍した稲垣稔次郎の存在があったという。53年、第8回新匠会公募展に蝋纈パネル「新芽」を出品、初入選。以後、同展に連続出品する。54年に工房を開設。松、水、音楽や海などをテーマに幅広い作品を制作した。58年新匠会会友となり、翌年には新匠会会員となる。63年京都の土橋画廊で初個展、型絵染「松シリーズ」小品展開催以降、継続的に個展を開催する。71年第26回新匠会展出品の着物「流れ」が富本賞受賞。同年、京都・射手座で安田茂郎と二人展を開催。75年に新匠会が新匠工芸会と改称され、同会の会務責任者となる。80年には「近代の型染」展(東京国立近代美術館工芸館)、「染と織 現代の動向」展(群馬県立近代美術館)に出品。世界クラフト会議ウィーン会場で、着物を展示し日本の着物について講演する。82年には「ろう染の源流と現代展」(サントリー美術館)や「染色展」(西武美術館)に出品。83年「現代日本の工芸―その歩みと展開―」(福井県立美術館)に出品。84年、京都芸術短期大学客員教授となる。85年、第40回新匠工芸会展で型絵染屏風「スクリャービン 焔にむかって」が第40回新匠工芸会記念大賞を受賞。87年『伊砂利彦作品集』(用美社)を出版。88年京都市京都芸術文化協会賞を受賞。1989(平成元)年京都府京都文化功労賞と京都美術文化賞を受賞。同年、沖縄県立芸術大学教授となる。90年フランス政府より芸術文化勲章シュバリエ章を受章。91年「羽衣」パリ公演(世界文化会館、ユネスコホール)の舞台美術を担当。第46回新匠工芸会に型絵染屏風「沖縄戦で逝きし人々にささげる鎮魂歌」等を出品。以降、沖縄を主題とした作品が評価を受ける。92年第47回新匠工芸会展で「海に逝きし人々に捧げる鎮魂歌」で第47回新匠工芸会富本賞受賞。京都市文化功労者となる。93年沖縄県庁舎警察棟の記念碑彫刻と壁面装飾を制作。「現代日本の染織」展(福島県立美術館)に出品。94年「現代の型染」展(東京国立近代美術館工芸館)や「現代の染め―4人展」(国立国際美術館)に出品。95年沖縄県立芸術大学奏楽堂緞帳を制作。99年、フランスのシャルトルステンドグラス国際センターで個展「フランス、パリ―シャルトル」を開催。「京の友禅」展(目黒区美術館)に出品。2001年、京都芸術センターで、特大和紙型絵染「月四部作」を公開制作し、内覧会を開催。03年「音楽による造形のきもの」展(フランス シャルトル―サンテチェンヌ)に出品。04年、京都市美術館別館にて「-傘寿を記念して-伊砂利彦と11.5人展」開催。05年、東京国立近代美術館工芸館にて「伊砂利彦―型染の美」展開催。京都迎賓館に型絵染額装「花」「一文字松」「水の表情12景」を制作。06年、「音と形の出会い―伊砂利彦とドビュッシーをめぐって―」展開催(京都芸術センター)。京都迎賓館に型絵染屏風「ムソルグスキー展覧会の絵」より「リモージュの市場」「キエフの大門」を制作。沖縄県立芸術大学名誉教授となる。同年、『型絵染 伊砂利彦の作品と考え』(用美社)を出版。ここには、40年に亘る作品がまとめられている。08年、福島県立美術館にて「伊砂利彦 志村ふくみ 二人展」開催。同展では両氏による共同制作も行われた。09年、第64回新匠工芸会展では「孫よりの贈りもの バラの園」が審査員特別賞受賞。10年、日本文化藝術財団の第1回創造する伝統賞を受賞。11年には追悼「伊砂利彦回顧展」(福島県立美術館)が開催された。作品は京都国立近代美術館、東京国立近代美術館、福島県立美術館などに収蔵されている。

出 典:『日本美術年鑑』平成23年版(430頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
to page top