成田亨

没年月日:2002/02/26
分野:, (彫)

 彫刻家で映画美術監督の成田亨は2月26日午前9時30分、多発性脳梗塞のため東京都日野市の自宅で死去した。享年72。 1929(昭和4)年9月3日、兵庫県神戸市に生まれる。45年空襲で被災し両親の故郷である青森へ移り、そこで画家阿部合成、彫刻家小坂圭二の指導を受ける。50年武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)西洋画科に入学するが、52年同校彫刻科に転科し清水多嘉示に師事。同科研究科在籍中に映画「ゴジラ」(本多猪四郎監督、東宝)の製作に参加、映画美術の世界に入る。55年第19回新制作展に石膏による彫刻「男」を出品、入選。以後同展には71年第35回展まで継続的に出品する。56年武蔵野美術学校彫刻研究科を修了。60年東映で特撮美術監督となる。62年第26回新制作展に漆による彫刻「八咫」を出品し、新作家賞を受賞、協友に推挙される。65年円谷特技プロダクション(現円谷プロダクション)の美術監督となり、「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」等のテレビ番組で、ヒーローや怪獣のデザインにたずさわった。初代ウルトラマンの研きぬかれたデザインや、ガラモン、レッドキング等の“成田怪獣”と称されるグロテスクを排した造形は以後長らく子供たちを魅了し続けることとなる。68年フリーの特撮美術監督となり、そのかたわら新宿伊勢丹でウィンドウディスプレイのデザイナーを務めるなど商業デザインも手がける。70年に大阪で開かれた日本万国博覧会で、太陽の塔内部の「生命の樹」のデザインを担当。1990(平成2)年京都府大江町に鬼のモニュメントを制作。91年から翌年にかけて常設個展ギャラリー「宇輪」を東京銀座に開設。99年水戸芸術館で開かれた「日本ゼロ年」展で、ゲストキューレターの椹木野衣により「現代美術」のあり方を問う作家の一人として取り上げられるなど、晩年には美術界でも注目を集め、没後の2003年には、七戸町立鷹山宇一記念美術館を会場に「アートツアー・イン青森「成田亨が残したもの」」が開催された。著作に『成田亨画集 ウルトラ怪獣デザイン編』(朝日ソノラマ 1983年)、『成田亨画集 メカニック編』(朝日ソノラマ 1984年)、『モンスター大図鑑』(弓立社 1986年)、『特撮と怪獣 わが造形美術』(フィルムアート社 1996年)、『特撮美術』(フィルムアート社 1996年)、没後の2003年にもその遺稿を編纂した『眞実 ある芸術家の希望と絶望』(成田亨遺稿集製作委員会)が出版されている。

出 典:『日本美術年鑑』平成15年版(240頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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