細見華岳

没年月日:2012/01/01
分野:, (工)

 綴織の重要無形文化財保持者(人間国宝)の細見華岳は1月1日、急性心不全のため死去した。享年89。
 綴織は「爪で織る錦」とも称され、かつては天竺織、納錦、綴縷錦、などの字が充てられていた。経糸の下に原寸大の下絵を置き、杼に通した緯糸で経糸を綴りわけ文様を表す。その特長は、文様表現に必要な部分のみ色糸を入れるため、多彩で複雑な絵柄も自由自在に表現できる。綴織の技術者は爪先が櫛状に砥がれ整えられているが、細見華岳の爪も同様に整えられていたという。
 綴織は正倉院御物にも確認されるが、日本で織りだされたのはいつ頃かは定かではない。林瀬平が織りだしたという説(『西陣天狗筆記』)や、京都御室にある仁和寺の僧が手内職に綴れを織り始めた、など諸説ある。明治時代に入ると2代川島甚兵衞の尽力もあり室内装飾品として重宝された。戦前までは京都の御室で織られたものが本綴れと称され、御室界隈には綴れを織る機屋が集中した。
 細見華岳は1922(大正11)年8月23日、兵庫県氷上郡春日町(現、丹波市)の農家に生まれる。37年、京都西陣の帯の織元、京都幡多野錦綉堂に入所。綴織の技術を習得する。40年に始まる七・七禁令施行時には企業が川島織物などに合併されながらも仕事を続けていたが、43年に徴兵され満州第11国境守備隊に入隊する。敗戦後はシベリアに抑留され、48年に帰国。
 帰国後、故郷の丹波へ戻ったが織物の道を再び志し、翌年、綴れの聖地御室に独立して綴織工房をもつ。独立後は羅の重要無形文化財保持者である喜多川平朗、友禅の重要無形文化財保持者である森口華弘などに指導を受けながら日本伝統工芸展を中心に活躍した。喜多川平朗に勧められ出品した第1回日本伝統工芸近畿展に出品し入選。その後、63年には第10回日本伝統工芸展に綴帯「ながれ」を出品し初入選。翌年の日本伝統工芸染織展では綴帯「陶彩」で日本工芸会賞を受賞する。65年、社団法人日本工芸会正会員に認定。68年、日本伝統工芸染織展にて日本工芸会賞受賞。この頃より「よろけ織」への挑戦を始める。75年、近畿支部日本伝統工芸展にて大阪府教育委員会賞受賞。同年、京都府伝統産業新製品作品展にて奨励賞受賞。
 76年には、フランス・ポーランド・旧ユーゴスラヴィアで開催された「現代日本の染織展」に出品。84年の第21回日本伝統工芸染織展では紗変織夏帯「渚の月」にて文化庁長官賞受賞。翌年、第32回日本伝統工芸展では綴帯「友愛」にて日本工芸会会長賞を受賞。この作品は日中友好10周年を記念して中国へ行った時に訪ねた動物園の孔雀の美しさに感動し誕生したという。友愛の名はかつて戦った中国の人々が親切だったことに感動してつけられた。87年、第34回日本伝統工芸展では有紋薄物着尺「爽」が保持者選賞を受賞。1990(平成2)年には銀座・和光にて個展「綴と50年」を開催する。
 翌年、沖縄県立芸術大学美術工芸学部教授に就任。97年まで学生の指導にあたる。92年、京都府指定無形文化財「綴織」保持者に認定。93年には勳四等瑞宝章を受章。96年銀座・和光にて個展「つづれ織・波と光」を開催。京都市の指定より5年後の97年には重要無形文化財「綴織」保持者(人間国宝)に認定される。98年、式年遷宮記念神宮美術館に綴帯「晨」等を献納。2002年、京都市文化功労者表彰。03年銀座・和光にて個展「-つづれ織・糸の旋律-」を開催。05年、西陣織物館に綴織額を寄贈。翌年、横浜のシルク博物館にて「-綴織に心をこめて-人間国宝 細見華岳展」が開催される。11年には卒寿を記念して「細見華岳展―つづれ織・糸の旋律―」(銀座・和光)を開催。
 作品は文化庁、東京国立近代美術館、シルク博物館などに所蔵されている。

出 典:『日本美術年鑑』平成25年版(405頁)
登録日:2015年12月14日
更新日:2016年08月09日 (更新履歴)
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