加藤東一

没年月日:1996/12/31
分野:, (日)

 元日展理事長で文化功労者の日本画家加藤東一は12月31日午後零時2分、肺炎のため神奈川県鎌倉市の病院で死去した。享年80。大正5(1916)年1月6日、岐阜県岐阜市美殿町1番地に生まれる。6男5女のうちの五男、第9子で生家は漆器商を営み、三男の兄栄三は後に日本画家となった。昭和9(1934)年岐阜県立岐阜中学を卒業し、画家を志しながら家業の手伝いをすることとなる。同12年千葉県在住の叔父宅に寄宿し、柏市の広池学園で道徳科学を学ぶ。同15年12月東京美術学校を受験するため千葉県市川市に住んでいた兄栄三を頼り上京し、翌16年同校日本画科に入学する。結城素明川崎小虎らに師事。同17年応召し、同20年復員。同21年東京美術学校に復帰し、小林古徑、安田靫彦らに師事する。同22年同校を卒業。同年より高山辰雄を中心とする「一采社」に参加し同第6回展より出品を始める。また、同年第3回日展に「白暮」で初入選。以後同展に出品を続ける。翌23年より山口蓬春に師事。同27年第8回日展に「草原」を出品し特選となる。同30年第11回日展に「砂丘」を出品して特選・白寿賞を受賞し、翌年より日展出品委嘱となった。同32年山口蓬春の勧めにより大山忠作らと研究団体「三珠会」を結成し、展覧会を開催する。同33年日展が社団法人として発足したのちも同展に出品を続ける。同36年日展審査員となる。同38年5月から7月まで大山忠作とともにギリシャ、エジプト、スペイン、フランス、イギリス、アメリカ等を巡遊。同42年12月、日本縦断を主題に1年を費して制作した「津軽風景」等8点の新作を兼素洞で発表する。同43年末から翌年1月中旬にかけて兄栄三、大山忠作らとともにインド、ネパールへ旅行する。同45年第2回改組日展に「残照の浜」を出品して内閣総理大臣賞を受賞。同50年日展理事に就任。同52年第8回改組日展に「女人」を出品して第33回日本芸術院賞を受賞。同54年同監事となる。同55年日本放送出版協会から現代日本素描集第15巻『長良川流転』が出版される。同59年9月東京銀座松屋で「加藤東一展」(日本経済新聞社主催)が開催され、昭和24年以降の日展出品作を中心に回顧展的な展観が行われた。同展は岐阜県美術館、大丸心斎橋店(大阪)に巡回した。平成元(1989)年日展理事長となる。同3年岐阜市に加藤栄三・東一記念館が開館。同7年文化功労者となった。昭和44年サカモト画廊、同45年彩壷堂、同47年名古屋松坂屋、同54年北辰画廊、同57年日本橋高島屋など、画廊、百貨店での個展を数多く開催し、作品の発表を続けた。一貫して風景、人物等に取材した具象画を描き続けたが、昭和30年代の一時期、抽象表現を試みたのち、色面や形体の構成に緊密の度を増した。日展での受賞作のほか、5年の歳月をかけて平成5年に完成させた金閣寺大書院障壁画などが代表作として挙げられる。この壁画を展示する「加藤東一金閣寺大書院障壁画展」が平成8年1月4日から29日まで東京の伊勢丹美術館で開催された。

出 典:『日本美術年鑑』平成9年版(355頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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