小森邦夫

没年月日:1993/10/22
分野:, (彫)

日本芸術院会員で日展事務局長をつとめた彫刻家小森邦夫は10月22日午後6時33分、心不全のため水戸市の水戸赤十字病院で死去した。享年76。大正6(1917)年6月6日、東京都浅草今戸に生まれる。赤坂高等小学校を経て日大皇道学院に学ぶ。昭和10年、構造社彫塑研究所に入り斉藤素厳に師事。構造展に出品し、同15年紀元2600年奉祝展に「めぐみ」で入選して官展初入選をはたす。翌16年第4回新文展に「断」で入選するが、後従軍。同21年春、第1回日展に「久遠」で入選し、以後同展に出品を続ける。同28年第9回日展に「ながれ」を出品して特選・朝倉賞受賞、同年第1回日本彫塑会展に「婦(A)」を出品して、以後同会にも出品を続ける。同30年第11回日展に「裸婦立像」を出品して特選、翌31年第12回展では「若い女」で2年連続特選となり、翌32年には日展依嘱となった。同年中国平和委員会からの招待で茨城県文化人代表として約40日間中国視察旅行、中国の古代遺跡等を訪れた。同33年よりたびたび日展審査員をつとめ、同34年日展会員、同39年日展評議員となる。同55年第12回日展に「腰かけた婦」を出品して文部大臣賞受賞。同60年、戦後間もない同23年から運営委員、審査員を続けていた茨城県展に「青春譜」を出品し、この作品により昭和59年度日本芸術院賞を受賞した。同60年日展理事、日本彫刻会理事となる。平成元(1989)年日本芸術院会員に選ばれた。裸婦像によって抽象的概念や情趣を表現するのを得意とし、流麗なポーズ、穏やかな作風を好んだ。代表作に茨城県立運動公園に立つ「緑に舞う」、勝田市駅前「であい」、土浦市にある「湖畔に佇つ」などがある。

新文展・日展出品歴
昭和15年紀元2600年奉祝展「めぐみ」、同16年第4回新文展「断」、同21年春第1回日展「久遠」、同年秋第2回「想」、同22年第3回「女性」、同23年第4回「影」、同24年第5回「追憶」、同25年第6回「蒼茫」、同26年第7回「荒海」、同27年第8回「妻の首」、同28年第9回「ながれ」(特選・朝倉賞)、同29年第10回「残陽」、同30年第11回「裸婦立像」(特選)、同31年第12回「若い女」(特選)、同32年第13回「女の顔」、同33年改組第1回「野性」、同34年第2回「ポーズする女」、同35年第3回「手を組む」、同36年第4回「碧」、同37年第5回「抗」、同38年第6回「あすなろ」、同39年第7回「膝をつく」、同40年第8回「ヴェール」、同41年第9回「腰かけたポーズ」、同42年第10回「雲」、同43年第11回「丘に立つ」、同44年社団法人日展第1回「浴後」、同45年第2回「砂丘」、同46年第3回「樹下佳人」、同47年第4回「佇立女」、同48年第5回「遊歩」、同49年第6回「腰かけた女」、同50年第7回「ポーズするエイ」、同51年第8回「浴」、同52年第9回「渚」、同53年第10回「海辺」、同54年第11回「閑寂」、同55年第12回「腰かけた婦」、同56年第13回「晨(あした)」、同57年第14回「想」、同58年第15回「仰ぐ」、同59回第16回「粧い」、同60年第17回「湖畔に佇つ」、同61年第18回「南国」、同62年第19回「瀬音」、同63年第20回「風」、平成元年第21回「舞う」、同2年第22回「碧」、同3年第23回「佇む婦」、同4年第24回「磯」、同5年第25回「砂」

出 典:『日本美術年鑑』平成6年版(336-337頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「小森邦夫」『日本美術年鑑』平成6年版(336-337頁)
例)「小森邦夫 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10351.html(閲覧日 2024-04-27)

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