板橋一歩

没年月日:1993/04/05
分野:, (彫)

二紀会委員の彫刻家板橋一歩は4月5日午後6時46分、肺がんのため富山県東礪波郡井波町の病院で死去した。享年82。明治44(1911)年3月12日、鹿児島県姶良郡に生まれる。本名政義。昭和6(1931)年鹿児島県立薩南工業学校建築科を卒業。同8年東京高等工芸学校図案選科を修了。同9年富山県井波町立井波尋常高等小学校の教員となり、同16年富山県立高岡工芸学校、同17年同県立高岡商業学校教員となった。同36年富山県立高岡工芸学校へ移り同45年停年退職するまで同校で教鞭をとる一方で制作を続けた。同26年第7回日展に「靴磨きの少年」で初入選。以後同展に出品を続ける。同28年JCA世界彫刻コンクールロンドン展に「無名政治犯像」を出品して入賞。日展には同39年まで出品を続けたが、同40年第19回二紀展に「歩け歩け」を出品し、以後同展に出品を続ける。同43年第22回二紀展に「ベトナム母子像」を出品して同人優賞受賞。同年9、11月にはこの作品をサイゴンに設置するためベトナムを訪れた。同51年欧州にスケッチ旅行に赴き、ギリシャ、イタリア、フランス、スペイン、オランダを巡った。同55年第34回二紀展に「難民キャンプの子供」を出品して文部大臣賞受賞。同61年インドへスケッチ旅行。同63年二紀会評議員となった。平成3年第46回二紀展に「朝のジョギング(ゆっくり走る)」を出品して田村賞を受けた。社会問題を作品に反映させた制作が多い。富山県の芸術文化にも寄与し、同48年より富山県彫刻家連盟委員長、同50年同県芸術文化協会参議となったほか、同55年富山県井波彫刻伝統産業会館館長となった。同49年には富山県文化功労者として表彰されている。作品集に同50年刊行の『板橋一歩彫刻作品集』がある。

出 典:『日本美術年鑑』平成6年版(320-321頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「板橋一歩」『日本美術年鑑』平成6年版(320-321頁)
例)「板橋一歩 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10347.html(閲覧日 2024-04-25)
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