岩田栄吉

没年月日:1982/02/24
分野:, (洋)

サロン・ナシオナール・デ・ボザール審査員、サロン・デ・ザルティスト・アンデパンダン会員の洋画家岩田栄吉は、81年9月パリで肺ガン手術を受けた帰国後、療養していたが、2月24日午後5時20分川崎市立井田病院で死去した。享年53。1929(昭和4)年1月27日東京市大森町に生まれる。慶應義塾普通部に入学し中学時代から示現会会員中村新次郎に素描を学び、画家を志す。しかし、父親の意を汲み、慶應大学工学部電気工学科へ進み、51年同科を卒業する。大学在学中も画業は捨てず、寺田春弌久保守に油絵を学ぶ。51年慶應大学を卒業した年、東京芸術大学油画科に入学、1-2年は小磯良平、3-4年は山口薫伊藤廉に師事。55年同科を首席で卒業する。卒業制作「ナルシス」はサロン・デ・プランタン賞を受賞。57年同校専攻科伊藤廉教室を修了し、同校油画科副手となる。同年9月、芸大入学と同時に通学し始めたアテネ・フランセを修了し、フランス政府給費留学生として渡仏する。フランスではパリ国立美術学校スーヴェルビー教室に学び、59年同校を修了する。その間エコール・デ・ルーブルにも通う。渡仏後数年間は風景画を描いていたが、60年「グランマニエールの静物」を描いて以後、静物画に転ず。62年サロン・ナシオナル会員となり、63年以降はサロン・コンパレゾン、サロン・テール・ラティーヌに招待出品する。また、この頃よりフランス人画家アンリ・カディウとの親交を通じてパントル・ド・ラ・レアリテのグループに入り、トロンプ・ルイユの方向へ歩み出す。65年サロン・アンデパンダン会員となり、69年サロン・ナシオナルでドロワ賞、75年同ファルマン賞を受賞。日本においては、70年日本橋三越で個展、70、71年国際形象展、71年安井賞候補展、大橋記念展、76年大橋賞展に出品し、77年セントラル絵画館で第2回個展を開く。73年東京芸術大学油画科、創形美術学校で講師をつとめる。芸大在学中から岡鹿之助を尊敬し、渡仏後親交を結び、また、フェルメールの作風に影響されるところが大きい。代表作に「十字架の人形」(1966)、「赤いジャケットの人形」(1968)、「ローソクと地球儀」(1976)がある。

出 典:『日本美術年鑑』昭和58年版(267頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「岩田栄吉」『日本美術年鑑』昭和58年版(267頁)
例)「岩田栄吉 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10141.html(閲覧日 2024-04-26)

外部サイトを探す
to page top