岡本唐貴

没年月日:1986/03/28
分野:, (洋)

 戦前の前衛美術及びプロレタリア美術運動の推進者の一人として活躍した岡本唐貴は、3月28日急性心不全のため東京都線馬区の自宅で死去した。享年82。岡本は明治36(1903)年12月3日、岡山県倉敷市に生まれる。本名登喜男。大正9年上京し、同11年東京美術学校彫刻科塑造部に入学するが、翌年中退した。同12年第10回二科展に立体派の影響を示す「静物」他で初入選。同13年には前衛集団アクションに加わり、アクション第2回展にデ・キリコやカッラの形而上絵画を参考にした「失題」を出品する。同年、三科造形美術協会結成に参加し、翌14年第1回三科展に「ペシミストの祝祭」(昭和48年復元)、第2回展に「ルンペンプロレタリアA」「同B」を出品。三科解散後は浅野孟府矢部友衛らとグループ造型を結成する。昭和4年、日本プロレタリア美術家同盟(PP)結成とともに中央委員となり、同年の第2回プロレタリア美術大展覧会に「争議団の工場襲撃」を出品、同作は300号位の大画面で、ダイナミックな群像表現に成功したプロレタリア美術の一例とされる。同8年には小林多喜二のデスマスクを制作した。翌9年、PPの後身のJAPが解散し、以後は研究グループを結成し活動する。戦後は、同21年現実会を結成、また日本美術会の創設にも参加し、日本アンデパンダン展、平和美術展などに出品する。同37年全ソ美術家同盟の招きでソ連を訪問。翌38年日本橋・白木屋で回顧展を開催する。同43年、丸木位里らと創作画人協会を結成するが、同45年には退会し、以後は旧作の復元に同49年まで費した。漫画家白土三平(本名岡本登)は子息である。

出 典:『日本美術年鑑』昭和62・63年版(318頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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