三輪晁勢

没年月日:1983/09/07
分野:, (日)

 日本芸術院会員の日本画家三輪晁勢は、9月7日午前11時46分、下咽頭ガンのため京都市上京区の京都第二赤十字病院で死去した。享年82。明治34(1901)年4月30日新潟県三島郡に生まれ、本名信郎。田村宗立や小山正太郎に洋画を学んだ父大次郎の影響を受け、大正3年に与板尋常小学校を卒業した後京都に出て絵を学ぶ。同10年京都市立美術工芸学校絵画科を卒業後、京都市立絵画専門学校に入学し、同校に在学していた堂本印象に師事した。同13年同校卒業、超世と号し、昭和2年第8回帝展に「東山」で初入選する。同6年第12回帝展「春丘」は特選を受賞、翌年号を晁勢と改め、同9年第15回帝展で「舟造る砂丘」が再度特選となる。師印象の画塾東丘社の中心的存在として、同13年以来の東丘展にも出品する。同14年華中鉄道の招聘により中支、南京、杭州などを視察し、同年師に随伴して朝鮮慶州の石窟や楽浪なども回る。同17年には海軍報道班員としてフィリピン、ジャワなど南方諸島を巡り「キャビテ軍港攻撃」などの戦争記録画を制作した。戦後、京都市展、関西総合美術展、日展などでたびたび審査員をつとめ、同35年日展評議員となる。この間、同34年に京都市文化使節として3ケ月間欧米11ケ国を訪問、単身メキシコにも足をのばし、また同41年には佐和隆研らと共にインドの仏蹟を視察、45年にもオーストラリア、ニュージーランド等を巡る。同36年第4回日展出品作「朱柱」により翌37年第18回日本芸術院賞を受賞、同44年日展理事、同52年参与、同55年顧問となり、また同49年京都市文化功労者、同50年郷里の新潟県与板町の名誉町民推賞、同54年には日本芸術院会員となり勲四等旭日小綬章を受章した。また堂本画塾の東丘社を引継ぎ主宰し、小説の挿絵や舞台装置、壁画なども手がけた。風景、花鳥と幅広い画題を扱い、華やかな色彩による装飾的な画風をよくし、代表作に上記のほか「有明」(1947年)「木屋町」(1956年)「高原初秋」(1968年)「杉」(1974年)「朝の雪」(1975年)「開花鳥語」(1979年大津市西教寺壁画)などがある。同56年銀座松屋ほかで三輪晁展開催。
略年譜
1901 新潟県三島郡与板町に、父三輪大次郎、母頊の長男として生れる。父は翁山と称する洋画家であった。
1915 京都市立美術工芸学校予科入学。
1917 京都市立美術工芸学校絵画科入学。
1921 京都市立美術工芸学校卒業。京都市立絵画専門学校入学。堂本印象に師事する。
1923 日本美術展覧会に「静物」出品。
1924 京都市立絵画専門学校卒業。超世と号する。
1927 第8回帝展に「東山」初入選。
1928 堂本ミツと結婚する。
1931 第12回帝展に「春丘」出品、特選となる。
1932 第13回帝展に「祖谷の深秋」出品。雅号を晁勢と改める。
1934 第15回帝展に「舟造る砂丘」出品、特選となる。大阪高島屋で個展開催。長男晁久誕生。
1936 文展に「林檎実る」出品。大阪時事新報に掲載の中山慶一作「節から出る芽」のさし絵を担当する。二女桃子誕生。
1937 梅軒画廊及び大阪大丸で個展開催。新文展に「海女」出品。
1939 伊東深水上村松篁池田遥邨らとの南京、蘇州、鎮江、抗州を視察する。師印象と伴に朝鮮の慶州、平壌を視察する。週刊朝日掲載の土師清二作「恋の象限儀」のさし絵を担当する。
1940 東京三越で個展開催。
1941 天理事報に掲載の松村梢風作「大和の神楽歌」のさし絵を担当する。三女桂子誕生。
1942 海軍報道班員としてフィリピン、セレベス、ジャワ、スマトラ、シンガポール、仏印を視察する。大阪、京都大丸で個展開催。週刊朝日掲載の沢写久孝作「皇国頌詞」のさし絵を担当する。長谷川伸作「米艦の日本士官」のさし絵を担当する。
1944 戦時特別文展に「竜田の神風」出品。
1946 京都新聞に掲載の舟橋聖一作「田之助紅」のさし絵を担当する。
1947 第3回日展に「有明け」出品。読物時代に掲載の吉井勇作「京洛春講」のさし絵を担当する。
1949 第5回日展に「ひまわり」を招待出品。名古屋松坂屋、京都ギャラリーで素描展を開催。
1950 第6回日展に「白樺の森にて」を招待出品。
1951 東京丸善、京都府ギャラリーで個展開催。第7回日展に「月光の道」出品。審査員に任命される。京都新聞連載の土師清二作「利久手まり」のさし絵を担当する。
1952 第8回日展に「瑠璃溪」を招待出品。
1953 東京丸善、京都大丸で個展を開催。第9回日展に「岩壁」を招待出品。サンデー毎日に掲載の海音寺潮五郎作「田舎みやげ」のさし絵を担当する。同じくサンデー毎日に掲載の白井喬二作「黒田姫」のさし絵を担当する。
1954 第10回日展に「家」出品。
1955 第11回日展に「丘の家」出品。毎日新聞に掲載の「日本のコント」のさし絵を担当する。サンデー毎日に掲載の立野信之作明治大帝」のさし絵を担当する。
1957 第13回日展に「桂・松琴亭」出品。東京高島屋で個展開催。
1958 社団法人第1回日展に「古庫」出品。大阪高島屋で個展開催。
1959 5月から3ケ月間、京都市文化使節として、高山市長、千宗室と共に欧米11ケ国を訪問する。第2回日展に「古橋」出品。
1960 第3回日展に「土」出品。東京白木屋、京都大丸で個展開催。
1961 第4回日展に「朱柱」を出品。
1962 「朱柱」(日展出品作)により第18回日本芸術院賞を受賞。第5回日展に「緑窓」出品。
1963 第6回日展に「トキ」出品。
1964 第7回日展に「白涛」出品。大阪大丸で個展開催。
1965 第8回日展に「山湖」出品。
1966 佐和隆研を団長に数名と伴に印度各地を視察旅行。
1967 第10回日展に「白い道」出品。
1968 第11回日展に「高原初秋」出品。外務省買上げとなる。
1969 日展理事に任命される。第1回改組日展に「仲秋」出品。
1970 オーストラリア、ニュージーランド、フィジー、タヒチ等を旅行する。第2回日展に「仏法僧」出品。
1971 第二期日展理事に任命される。第3回日展に「游」出品。
1972 第4回日展に「マンゴーの女」出品。
1973 新潟総合テレビ文化賞を受賞する。第5回日展に「水のほとり」出品。
1974 日展理事に再任される。第6回日展に「チチの実」出品。京都市文化功労者の表彰を受ける。
1975 生地、新潟県三鳥郡与板町の名誉町民第一号に推せんされる。第7回日展に「静かなるたに」出品。日展常任理事になる。
1977 第9回日展に「朱いトキ」出品。京都府美術工芸功労者の表彰を受ける。
1978 第10回日展に「紫陽花咲く」出品。
1979 日本芸術院会員に推せんされる。勲四等旭日小綬章を受ける。第11回日展に「くるみの雨」出品。
1980 日展顧問になる。第12回日展に「菖蒲」出品。
1981 銀座松屋、大阪大丸、京都大丸で回顧展「華麗なる色彩の世界、三輪晁勢展」を開催する。
(特集「三輪晁勢の芸術」三彩403より)

出 典:『日本美術年鑑』昭和59年版(315-317頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2016年11月11日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「三輪晁勢」が含まれます。
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