平田実

没年月日:2018/11/04
分野:, (写)
読み:ひらたみのる

 写真家の平田実は11月4日、肺炎のため死去した。享年88。
 1930(昭和5)年、東京府北豊島郡板橋町(現、東京都板橋区)に生まれる。旧制早稲田中学校4年修了後、貴族院速記練習所(1947年新憲法施行後は参議院速記者養成所)に入所。同所修了後に速記者として採用され、参議院記録部に勤務する。幼少期から絵を描くことが得意で美術方面への進路を志望していたが、家庭の事情等により断念したこともあり、養成所時代から画塾や舞台芸術学院に通うなど、速記者の仕事のかたわら広く芸術への関心を深めており、体調を崩して参議院を退職した後、そうした関心のひとつであった写真に本格的にとりくみ始めた。
 当初、独学のアマチュアとして写真雑誌の月例公募などに投稿していたが、53年には『國際寫眞サロン』(朝日新聞社)に作品が入選、掲載され、50年代半ばからは業界誌写真記者を経てフリーランスの写真家として活動するようになる。撮影とともに、記事の執筆もできたことから業界紙や雑誌など各種の仕事をてがけ、その中で、美術家篠原有司男と取材を通して知り合ったことをきっかけに、60年代にはさまざまな前衛芸術家と交遊を深め、その活動を記録するようになった。ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ、ハイレッド・センター、オノ・ヨーコ、ゼロ次元などが60年代に展開したさまざまなアクションやパフォーマンスは、平田が撮影した写真が週刊誌などに掲載されることで広く社会に発信されることとなった。
 67年には返還前の沖縄に渡航、以後、沖縄各地の取材を重ね、風土や伝統的な琉球文化、また戦後沖縄の変化の様相などを撮影、75年写真集『うるま・美しい沖縄』(読売新聞社)にまとめる。またハンググライダーやパラグライダー、熱気球などのスカイスポーツに早くから関心を持ち、『ハンググライダー』(萩原久雄との共著、講談社、1980年)、『風のくに』(情報センター出版局、1991年)などの著作がある。
 速記者としての経験をふまえ、写真による記録の持つ意義を一貫して重視し、とくにその姿勢は1960年代の前衛美術をめぐる仕事において、パフォーマンスなど、物質的な作品の残らない美術表現の貴重な記録を残すことへと結びついた。そうした仕事は前衛美術の再評価とともにあらためて注目され、2000年代に入ってから、『超芸術Art in Action―前衛美術家たちの足跡 1963―1969』(三五館、2005年)や『ゼロ次元―加藤好弘と60年代』(河出書房新社、2006年)などにまとめられた。また没後の個展「東京慕情/昨日の昭和 1949―1970」(タカ・イシイギャラリー フォトグラフィ―/フィルム、東京、2019年)で戦後復興期から高度経済成長期における東京の街や市井の人々を記録したシリーズが紹介されるなど、前衛美術関連以外の仕事への再評価も進みつつある。

出 典:『日本美術年鑑』令和元年版(528-529頁)
登録日:2022年08月16日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「平田実」『日本美術年鑑』令和元年版(528-529頁)
例)「平田実 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/995856.html(閲覧日 2024-03-29)

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