加古里子

没年月日:2018/05/02
分野:, (その他)
読み:かこさとし

 『だるまちゃんとてんぐちゃん』『からすのパンやさん』等の作品で知られる絵本作家で児童文化研究家の加古里子は5月2日、慢性腎不全のため神奈川県藤沢市の自宅で死去した。享年92。
 1926(大正15)年3月31日、福井県今立郡国高村(旧、武生市。現、越前市)に生まれる。本名中島哲。1933(昭和8)年、7歳の時に東京に転居。中学時代に航空士官を志すも近視が進み断念。後に子供と向き合う創作活動を続けることとなったのは、軍国少年だった自分のような判断の過ちを繰り返さないように、という悔恨が根底にあったという。技術者を目指し、45年東京帝国大学工学部応用化学科に入学。在学中に大学の演劇研究会に入会し、舞台装置と道具類のデザイン・製作を担当。地方公演の際、子供達の反応に感動して童話劇の脚本を書き始める。48年昭和電工に入社。会社勤務の傍ら、焼け野原にバラックが立ち並ぶ川崎市で、地域福祉の向上を図るセツルメント活動に従事し、紙芝居や幻燈作品の制作から子供の心をつかむ物語作りを身につける。セツルメント活動で知り合った仲間の紹介により、59年にダム建設の仕事をテーマにした『だむのおじさんたち』(福音館書店)で絵本デビュー。化学を専門としていたことから多くの科学絵本の依頼が舞い込み、地球や生物、人間の身体、土木、気象等、様々な分野の絵本を手がける。『かわ』(福音館書店、1962年)は63年に第10回産経児童出版文化賞大賞を、『海』(福音館書店、1969年)は70年に第12回児童福祉文化賞を受賞。一方で67年の『だるまちゃんとてんぐちゃん』(福音館書店)をはじめとして、累計389万部発行された“だるまちゃん”シリーズでは、日本の子供に馴染み深いだるまや天狗等の伝統的なキャラクターを生かし、想像の世界へとつなげる物語を創作。60年代後半よりテレビに出演し、教育テレビ等の司会やコメンテーターを務める。73年に昭和電工を退社。同年初版の『からすのパンやさん』(偕成社)は240万部を超えるロングセラーとなった。75年に幼少期の暮らしと遊びの体験をもとにしたエッセイ集『遊びの四季』(じゃこめてい出版)で第23回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。79年から数年にわたり東京大学教育学部等で非常勤講師を務め、実地で学んできた子供と教育について講じる。児童文化研究家としても知られ、絵かき歌、石けり、鬼ごっこ、じゃんけんの資料を収集、分析した全4巻の『伝承遊び考』(小峰書店、2006~08年)を執筆、2008(平成20)年に同書と長年の児童文学活動の業績により菊池寛賞を受賞した。13年、生まれ故郷の福井県越前市にかこさとしふるさと絵本館「■」が開館。亡くなる年の1月には、東日本大震災で被災した東北地方に思いを寄せた『だるまちゃんとかまどんちゃん』(福音館書店)等、“だるまちゃん”シリーズ3冊を同時刊行、生涯現役を通し600冊を超える著作を残した。19年より「かこさとしの世界」展がひろしま美術館を皮切りに全国各地で開催されている。

出 典:『日本美術年鑑』令和元年版(508-509頁)
登録日:2022年08月16日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「加古里子」『日本美術年鑑』令和元年版(508-509頁)
例)「加古里子 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/995706.html(閲覧日 2024-04-26)

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