佐々木耕成

没年月日:2018/04/11
分野:, (美)
読み:ささきこうせい

 前衛美術家の佐々木耕成は4月11日、群馬県みどり市の病院で死去した。享年89。
 1928(昭和3)年7月、現在の熊本県菊池市泗水町に生まれる。45年3月、先に満州(現、遼寧省瀋陽市蘇家屯)に入植していた両親のもとに移る。戦争末期にソ連軍に抑留されるが、46年10月頃に帰国。53年3月、上京して武蔵野美術学校の通信教育を受け、翌年同学校の西洋画科に編入学する。在学中から独立美術展に出品をつづけ、58年3月、同学校西洋画科を卒業。60年3月、第12回読売アンデパンダン展に出品、同年の第28回独立美術展を最後に公募展への出品をやめる。62年2月、「汎太平洋青年美術家展」にて「国際青年美術家展賞」受賞。63年1月、熊本市にて「郷土出身 佐々木耕成展」(会場、同市鶴屋百貨店)開催。64年6月、前衛美術グループ「ジャックの会」に参加、以後、同会のメンバーとして展覧会活動をする。67年、フォード財団の援助により渡米、出国にあたりそれまでの作品を焼却処分したとされる。ニューヨークに住むが、作家活動よりも生活のため内装業に従事。85年、帰国。1990(平成2)年、群馬県勢多郡黒保根村(現、桐生市黒保根町)に移住。同村では、地区の有志とともに、公園を造成し、その場所で毎年秋に「あかしあの森公園野外コンサート」(2003年から「わたらせの森と水の音楽祭」と改称し、08年まで)を開催するなど、ボランティア活動をつづけた。
 在米中の空白の時代から帰国後の美術界との没交渉の時代をへて、2007年、佐々木の地域での活動を紹介した桐生市のホームページから、当時の関係者と美術館学芸員によってその名前が発見された。これを契機に「ジャックの会」メンバーと再会し再び交流がはじまる。10年、アーツ千代田3331にて個展「全肯定/OK. PERFECT.YES.」開催。また同年刊行の黒ダライ児著『肉体のアナーキズム 1960年代・日本美術におけるパフォーマンスの地下水脈』(発行grambooks)で、「ジャックの会」が言及され、60年代の「前衛美術」の活動家のひとりとして再評価されるようになった。12年4月、群馬県立館林美術館にて「館林ジャンクション 中央関東の現代美術」展に出品。同年10月、アーツ千代田3331による企画「TRANS ARTS TOKYO」のレジデンスプログラム「熊本、シベリア、満州、NY、黒保根、そして神田」として公開制作をする。13年7月、小田嶋孝司著『漂流画家 佐々木耕成85歳』(文園社)が刊行された。
 晩年にいたって発表活動も盛んになり、同年8月には、岡福亭ギャラリーのこぎり(桐生市)、15年4月にコミュニティスペースSOOO dramatic!(台東区)、17年3月には、ギャラリーya―gins(前橋市)にて個展を開催した。なお没後になるが、18年10月、熊本県立美術館にて「変革の煽動者 佐々木耕成アーカイブ」展が開催された。その生涯と創作活動については、佐々木の生前から取材と調査を重ねていたことから、同展カタログに詳細に記録されている。

出 典:『日本美術年鑑』令和元年版(506頁)
登録日:2022年08月16日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「佐々木耕成」『日本美術年鑑』令和元年版(506頁)
例)「佐々木耕成 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/995686.html(閲覧日 2024-07-20)

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