永田生慈

没年月日:2018/02/06
分野:, (学)
読み:ながたせいじ

 浮世絵研究者で美術評論家の永田生慈は肺癌のため2月6日に死去した。享年66。
 1951(昭和26)年、島根県津和野町生まれ、その後東京都世田谷区で育つ。幼少の頃から骨董など古いものに興味をもち、初めてのコレクションは小学校3年の頃、〓飾北斎の絵手本『画本早引』であったといい、以後、生涯にわたり北斎作品の収集、研究に身を捧げた。高校卒業後、浮世絵研究の泰斗、〓崎宗重が教鞭を執っていた立正大学に進学し、師の薫陶を受ける。処女論文は「学生レポート 広重進出後の北斎」(『浮世絵芸術』30、1971年)、大学在籍中に仲間と東京北斎会を発足し、72年に『北斎研究』を創刊し(2017年、第57号をもって終刊)、精力的に北斎の調査研究を進めた。生涯に著した論文は200本余、専門的な学術書から一般向けの解説書や啓蒙書まで多数の著作を残した。大学卒業後、書店経営なども経て、太田記念美術館の設立に尽力し、学芸員から副館長兼学芸部長を務め、2008(平成20)年に退任するまで、同館の展覧会や調査研究活動に従事した。なかでも05年に太田記念美術館の開館25周年を記念し、初の海外展としてパリのギメ東洋美術館で開催された「太田記念美術館所蔵浮世絵名品展」の際、クーリエとして赴いていた永田の調査によって、ギメ東洋美術館に所蔵されている北斎の「龍図」が、太田記念美術館の所蔵品であった「虎図」と本来対をなす作品であることが発見されたことは大きな反響を呼んだ。この「龍図」は07年1月から太田記念美術館と大阪市立美術館でおこなわれた「ギメ東洋美術館所蔵浮世絵名品展」で里帰りを果たし、虎図とともに展示され、北斎の絶筆に近い時期の大作として注目された。永田が研究を始めた頃は、フランスやアメリカでは高く評価されている北斎が、日本国内では過小評価されていたといい、永田は『〓飾北斎年譜』(1985年)など基礎研究を基盤に、膨大な数の作品論を積み重ね、画風展開を論じた。国内外の数々の北斎展に関わったが、その最大級のものがゲストキュレーターとして企画した2005年の東京国立博物館での「北斎展」で、作品総数約500点が出陳された。また14年にパリのグラン・パレで開催された「北斎展」でも主導的役割を果たして大きな反響を呼び、この功績により16年にフランスの芸術文化勲章オフィシエが贈られている。一方、自らも北斎やその門人の作品の収集活動を続け、90年、北斎の命日である4月18日に郷里の津和野町に自らの私財を投じて〓飾北斎美術館を開館した。同館は15年に閉館したが、散逸することを避けるため永田のコレクション約2000点は17年に島根県立美術館に寄贈された。19年2月に島根県立美術館で「開館20周年記念展 北斎―永田コレクションの全貌公開<序章>」が開催され、『永田生慈 北斎コレクション100選』が刊行されている。

出 典:『日本美術年鑑』令和元年版(498頁)
登録日:2022年08月16日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「永田生慈」『日本美術年鑑』令和元年版(498頁)
例)「永田生慈 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/995626.html(閲覧日 2024-03-29)

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