浅見隆三
日展参事の陶芸家浅見隆三は、7月23日胃がんのため京都市の国立京都病院で死去した。享年82。中国宋時代の青白磁を基調に現代的感覚を盛った独自の作風を生んだ浅見は、明治37(1904)年9月26日三代浅見五良助の次男として京都市東山に生まれた。本名柳三。大正12年京都市立美術工芸学校図案科を卒業し、翌年関西美術院で洋画を学んだ。陶技は主に祖父の二代五良助に手ほどきを受け、昭和4年第10回帝展に「三葉紋花瓶」で初入選する。同10年第1回京都市美術展に「彫彩紋花瓶」を出品。戦後は同20年から象嵌の手法を主体とした作品を制作し、翌年の第1回展から日展へ出品、第2回日展に「象嵌 干柿の図皿」で特選、同26年第7回日展にも染付「鶏頭ノ図花瓶」で特選を受け翌年無鑑査となる。同28年第2回現代日本陶芸展(朝日新聞社主催)に「けしぼうず花瓶」で朝日新聞社賞を受賞。同30年日展会員となる。また、同36年から45年まで京都工芸繊維大学講師をつとめた。同37年、プラハ国際陶芸展に「条」で受賞し、同年日本現代工芸美術家協会設立に会員として参加し、のち常務理事、同46年参与となる。同39年日展評議員に挙げられ、第7回日展出品作「菁」で文部大臣賞を受賞した。同41年、京都工芸美術家訪中視察団団長として中国を訪れる。翌42年、前年の第9回日展出品作「暢」で日本芸術院賞を受けた。その後も日展、現代工芸展、日本陶芸展などで制作発表を行い、同54年日展参事となる。京都府美術工芸功労者、京都市文化功労者表彰を受けたのをはじめ、同56年紺綬褒章を受章する。
出 典:『日本美術年鑑』昭和62・63年版(334頁)登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
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例)「浅見隆三」『日本美術年鑑』昭和62・63年版(334頁)
例)「浅見隆三 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9857.html(閲覧日 2024-10-11)
例)「浅見隆三」『日本美術年鑑』昭和62・63年版(334頁)
例)「浅見隆三 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9857.html(閲覧日 2024-10-11)
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