鈴木貫爾

没年月日:1982/02/24
分野:, (工,鋳金)

南部釜師、東京芸術大学教授の鈴木貫爾は、2月24日午後7時4分、肺炎のため盛岡市の岩手医大付属病院で死去した。享年62。1919(大正8)年10月14日、岩手県盛岡市に、南部藩お抱え釜師である「南部釜師」第13代盛久の長男として生まれる。本名鈴木信一。42年東京美術学校工芸科鋳金部を卒業する。師は香取秀真であった。46年東京美術学校工芸科鋳金部講師となり、同年第2回日展に「壷」を出品して初入選する。翌47年香取秀真より貫爾の号を受ける。57年第13回日展に「テラスの為の装飾火蛾の踊り」を出品し、特選、北斗賞を受賞以来同展無鑑査、出品委嘱、67年には日展会員となり、審査員も2度つとめている。50年及び70-73年2度にわたり正倉院金工品の調査にあたり、著書『正倉院の金工』を76年に発刊する。73年より東京芸術大学教授をつとめ、77年には第13代盛久の死去により第14代盛久を襲名する。南部釜師の伝統を守り古典研究をする一方、現代に鋳金を生かす道を求め続ける。代表作に「塁壁華盤」(62年第5回日展)、「天山路の几」(69年第1回改組日展)、「喚鐘・雲共我無心」(75年第7回改組日展)等がある。

出 典:『日本美術年鑑』昭和58年版(267頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「鈴木貫爾」『日本美術年鑑』昭和58年版(267頁)
例)「鈴木貫爾 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9849.html(閲覧日 2024-04-24)

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