宮芳平

没年月日:1971/03/30
分野:, (洋)

国画会会員の洋画家、宮芳平は、3月30日、京都市において死去した。宮芳平は、号を木念、歌人宮柊二の叔父にあたり、明治26年(1893)6月5日新潟県北魚沼郡に生まれ、新潟県立柏崎中学校を卒業、大正3年(1914)大正博覧会展に入選、東京美術学校西洋画科に入学したが、大正7年(1918)中途退学した。中村彝に師事し、また森鴎外の知遇をうけ、山本鼎の指導をうけた。大正4年(1915)、第9回文展に「海のメランコリー」が入選、大正12年(1922)清水多嘉示の後任として長野県立諏訪高等女学校に奉職、以後、諏訪市に居住し、戦前には、独立展、旺玄社展に出品したが、昭和15年(1940)より国画会展に出品、昭和32年国画会会友、同36年(1961)会員に推挙された。昭和31年(1956)銀座兜屋画廊にて第1回の個展、昭和40年(1965)銀座松屋、同45年(1970)東京と諏訪で個展を開催した。昭和41年(1966)、ギリシャ、イタリア、フランスを旅行、紀行文等に『聖地巡礼』がある。
国展出品作品略年譜
「冬山」(昭15)、「霧」(昭21)「荒土を耕す」(昭22)、「雪解くる頃」「秋日」(昭24)、「雪の朝」(昭27)、「まだら雪」(昭29)、「冬枯の梢」(昭30)、「風景」(昭31)、「風景その1、雪解くる頃」(昭32)、「月ある夜の湖」「月ある夜の山」(昭33)、「作品・門」「作品、おしどりの池」(昭34)、「枯れた蓮」(昭35)、「麓の村々」(昭36)、「山とみづうみ」(昭38)、「枯れた蓮」(昭40)、「きはざし」(昭41)、「富士」(昭44)、「さざなみ」(昭45)

出 典:『日本美術年鑑』昭和47年版(81頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「宮芳平」『日本美術年鑑』昭和47年版(81頁)
例)「宮芳平 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9435.html(閲覧日 2024-07-22)

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