平賀亀祐

没年月日:1971/11/04
分野:, (洋)

パリ在住のサロン・ナショナル会員の洋画家平賀亀祐は、11月4日午前10時(現地時間)、心臓発作のため、パリ市の自宅で死去した。享年83才。平賀亀祐は、明治22年(1889)三重県に生まれ、青年時代に移民としてアメリカへ渡り、絵画を勉強しその後フランスへ移り、生涯のほとんどもフランスですごし、フランスの官展で活躍した。
略年譜
1889 明治22年 9月25日、三重県志摩郡に生れる。
1906 明治39年 9月、三重県移民として渡米。サンフランシスコ美術学校に入学。
1909 明治42年 サンフランシスコの加州大学美術科に転校。
1914 大正3年 カリフォルニア美校全生徒の作品展にて1、2、3等受賞。特待生となり学費の免除を受ける。
1915 大正4年 同校卒業。
1916 大正5年 この年より1925年までロスアンゼルスに居住して苦学する。
1925 大正14年 渡仏、アカデミー・ジュリアンで2年間学び、ルシアン・シモンに師事する。
1926 大正15年 ル・サロンに2点入選。パリ モンマルトル、ディアム画廊で個展を開く。
1927 昭和2年 サロン・ナショナルに風景画入選。サロン・ドームに3点入選。帰米、ロスアンゼルスにて第1回個展を開く。金門学園社交室にて作品展開く。オリンピック・ホテルにて個展を開く。ポートランド、淀川亭にて作品展を開く。
1929 昭和4年 帰米、第2回展をロスアンゼルスにて開く。滞欧中の作品を金門学園社交室にて展観する。スタンフォード大学のアート ギャラリー常盤クラブにて作品展を開く。アンバサイダーホテル広間にて作品展を開く。
1930 昭和5年 ニューヨーク ミルチ アートギャラリー、パリ シャルパンチエール画廊にて個人展を開く。フランス政府買上げ、ロアン美術館買上げ。
1932 昭和7年 帰米、第3回個展をロスアンゼルスにて開く。フィラデルフィア、デンバー、ニューヨークを訪れる。ニューヨーク ミルチ アートギャラリーにて作品展を開く。
1934 昭和9年 パリ、春のル・サロンにて銅賞を受ける。
1935 昭和10年 4月、三重県山田駅前県立商工奨励館別館にて個展を開く。
1938 昭和13年 ル・サロンにて銀賞を受ける。
1941 昭和16年 第2次世界大戦おこる。敵国人として半年以上収容される。
1945 昭和20年 大戦終る。戦時中サロン・ドートンヌ(秋季展)レクスポジション・ユニヴェセル(世界展)などに出品する。
1954 昭和29年 ル・サロンにて金賞ならびにコロー賞を受ける。美術文化勲章、学士院賞を受ける。4回つづいて入選のため会員に推薦される。
1955 昭和30年 50年ぶりに日本に帰国、朝日新聞社主催「平賀亀祐滞仏作品展」をブリヂストン美術館で開く。大阪高島屋にて作品展を開く。横浜市紅葉ケ丘県立図書館にて作品展を開く。東京交詢社にて作品展を開く。高知市にて個展を開く。
1960 昭和35年 帰朝、東京、大阪ほか日本各地で個展を開く。
1961 昭和36年 日本政府より勲三等に叙勲される。
1962 昭和37年 浜名湖老人ホーム建設資金として作品を寄贈する。
1963 昭和38年 東京日本橋 造形ギャラリーにて、造形主催の個展を開く。
1964 昭和39年 高知市にて個展を開き、伊勢市にて個展を開き、札幌にて作品展を開く。
1965 昭和40年 3回目の帰国、造形ギャラリーにて個展を開く。
1966 昭和41年 「平賀亀祐喜寿記念」展が東京、日本橋三越にて開催される。「画集・平賀亀祐」出版される。(平賀亀祐喜寿記念展目録より転写)

出 典:『日本美術年鑑』昭和47年版(90-91頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「平賀亀祐」『日本美術年鑑』昭和47年版(90-91頁)
例)「平賀亀祐 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9422.html(閲覧日 2024-03-29)

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