鈴木誠

没年月日:1969/04/21
分野:, (洋)

 新制作協会会員の洋画家鈴木誠は、4月21日、心不全のため東京中野の国立中野病院で死去した。享年71才。鈴木誠は、明治30年(1897)大阪市に生まれ、大阪階行社附属小学校、大阪府立八尾中学校をへて、大正8年東京美術学校西洋画科に入学し、藤島教室に学び、大正11年同校を卒業、直に同校研究科に進んだ。在学中の大正10年、第3回帝展に入選、および同年光風会展に出品して受賞した。大正12年、渡仏し、パリでビシェールに師事、アカデミー・コラロッシにて研修し、イタリアを歴遊して昭和2年帰国した。帰国後は、帝展、槐樹社展に出品し、昭和4年10回帝展では特選となった。また、昭和4年帝国美術学校油画科助教授となり、同10年には引続き多摩帝国美術学校教授となって後身を指導した。
 昭和11年、帝展改組、二部会を経て、同志と新制作派協会を結成、以後、会員として同展に主要作品を発表してきた。また、昭和22年多摩美術大学評議員、同28年多摩美術大学油画科主任教授となり、昭和43年定年退職するまで指導にあたった。その他、著書として、『人物画の描き方』(昭和38年・アトリエ社)、『構図の考え方と実際』(昭和41年・アトリエ社)がある。
作品略年譜
昭和4年10回帝展「新春之写」、同5年11回帝展「トロア・グラース」、同6年12回帝展「文五郎の家庭」、同8年14回帝展「裸体」、同9年15回帝展「春」、同12年2回新制作展「花」「三人」「習作」、(以下、新制作展主要出品作)同13年「習作」、同14年「風雨」「きもの」「浴女」「宵」、同15年「絵を見る女」、同16年「隣組の人々」「光箭」「朝」、同18年「機械と女(その1)」「機械と女(その2)」「若人達」「アイロン掛け」、同21年「裁断師」「窓」「木戸」、同22年「ポートレート」「ヴィオロニスト」、同23年「エスパナ好み」「サボイ好み」「爪を切る」「三面鏡」「顔」、同25年「坐せる裸体」「横臥せる裸体」「黒い帽子」「白い帽子」「鏡のある静物」「Y夫人像」、同26年、「裸体」「母と子供」、同27年「和装」「a Notte」、同28年「横臥裸婦」「白衣像」、同30年「縞のキモノ」「T夫人」、昭34年「失楽園」「賢人達」、同年「室内」「踊子達」、同37年「練習曲」「目白夫人」、同39年「あでやか」、同40年「晴着」、同41年「七五三」「たおやか」、同42年「祭の装い」「黒い着物」、同43年「NU」「祭」。

出 典:『日本美術年鑑』昭和45年版(79頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2019年06月06日 (更新履歴)
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