板倉賛治

没年月日:1965/04/04
分野:, (水彩)

板倉賛治は明治10年1月愛知県碧南市に生れた。東京高等師範学校に入学、図画教育として水彩画を学び41年に卒業、直ちに同校助教授に任ぜられた。大正2年日本水彩画会創立会員に推され、更に大正12年には帝展委員に推されたが、生涯を教育者として美術教育のためにつくし水彩画の指導、普及、或は図画手工芸教育に尽力し、図画教科書等の刊行も少くない。展覧会出品画制作のため教育指導のおろそかになることを顧慮し、展覧会に出品することは殆どなかった。晩年は多年教育に尽した功績により幾度か表彰され、死去に際して宮内庁より銀杯をうけている。4月4日老衰のため東京都文京区の自宅で逝去した。享年89才。
略年譜
明治10年(1877) 愛知県碧海市に生れる。
明治32年 愛知県第一師範学校卒業、同校教諭として勤務。
明治37年 東京高等師範学校入学。
明治41年 同校卒業、同校助教授となる(昭和3年教授)。
大正2年 日本水彩画会創立会員に推挙。
大正10年 第3回帝展に「静物」入選。
大正12年 帝展委員に推挙。
昭和6年 国定教科書小学図画編纂委員嘱託。
昭和9年 中等教育検定委員会委員。
昭和10年 東京高等師範学校評議員となる。図画教育指導の功績に対し全国図画教育大会長より表彰をうける。
昭和11年 帝展無鑑査待遇をうける。
昭和15年 教育に多年勤続し、功労顕著のため文部大臣より表彰をうける。
昭和24年 日本水彩画会名誉会員推挙。」
昭和25年 山田家政短期大学教授となる。
昭和38年 米寿を記念して「米寿記念賛治画集」が同記念会から出版された(限定非売)
昭和40年 4月4日 逝去 89才。5月永年美術教育に貢献したことに対し、宮内庁より銀杯を受ける。
(著書) 中等図画教本(明治43年)、図画教育スケッチの実際(明治44年)板倉図案集(大正9年)など昭和にかけて、図案、図画教育に関する著書多く、また、昭和12年5月「板倉賛治画集」(学校美術協会)が出版されている。

出 典:『日本美術年鑑』昭和41年版(101-102頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「板倉賛治」『日本美術年鑑』昭和41年版(101-102頁)
例)「板倉賛治 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9114.html(閲覧日 2024-03-30)

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