河村熹太郎

没年月日:1966/01/18
分野:, (工)

日展会員の陶芸家河村熹太郎は、1月18日午後10時、鎌倉市の自宅で脳出血のため死去した。享年66才。河村熹太郎は、京都の陶芸家の家に生れ、大正末期から昭和初期にかけて、新進陶工の集団「赤土同人」さらに「燿々会」に関係して保守的な京都陶芸界の改新につとめ、昭和10年には従来の帝展工芸の傾向にあきたらず生産的工芸に新境地を開拓する目的で結成された「実在工芸美術会」(高村豊周内藤春治など)に同人として参加した。戦後は愛知県猿投山に開窯、さらに鎌倉に新窯を開いて製陶していた。
略年譜
明治32年(1899) 4月14日、京都市粟田に生れる。
大正9年 陶芸集団「赤土同人」を創立、新しい陶芸の運動をおこす。
昭和2年 帝展に新設された第四部工芸に「花瓶」「青絵皿」の2点入選。河村蜻山河合栄之助、楠部弥一らと燿々会を結成。
昭和3年 9回帝展に「大瓶」入選
昭和4年 10回帝展に「白瓷花瓶」入選
昭和10年 10月「実在工芸美術会」創立に同人として参加。京都市嘱託となり陶磁研究のため中国・朝鮮を視察旅行。
昭和11年 実在工芸美術会第1回公募展を都美術館にて開催。
昭和12年 第1回新文展に「八方形染付富貴国香之図花瓶」「金襴手雲模様八角捻水指」を出品して後者が特選となる。パリ万国博に「八角形染付菊花食籠」を出品、名誉賞を受賞。
昭和18年 第6回文展で審査員
昭和24年 第5回日展審査員
昭和25年 愛知県西加茂郡の猿投山山麓に散在する異色ある陶土に魅力を感じ新境地を開拓しようとして京都市五条坂の陶房を猿投町平戸橋畔に移す(さなげ陶房)。フランスにおける日本陶芸展に出品「方形鉄絵皿」がチェルスキー美術館に収蔵される。
昭和31年 愛知県教育委員会より表彰さる。
昭和32年 愛知県学術文化功労者として表彰される。
昭和33年 中日文化賞を受賞。
昭和36年 鎌倉のもと北大路魯山人陶房跡に新窯其中窯を築き、さなげ陶房における研究の実験工房として「茶碗道場」の創設に着手する。
昭和38年 4月、其中窯初窯による個展を東京・三越において開催する。
昭和40年 備前焼の研究作品を中心に其中山房において個展を開く。12月<やきものをつくる>(美術出版社)を出版。
昭和41年 1月18日死去。

出 典:『日本美術年鑑』昭和42年版(133-134頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「河村熹太郎」『日本美術年鑑』昭和42年版(133-134頁)
例)「河村熹太郎 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8987.html(閲覧日 2024-10-10)

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