小倉千尋

没年月日:1962/09/18
分野:, (工)

小倉千尋は明治33年陶芸に縁故のある兵庫県明石郡の家に生れ、幼少の頃から作陶に志して上京、苦学の後、単身渡満、元満鉄窯業試験場に入社した。その前後から中国各地を遍歴し、中国古陶芸を研究、帰国後京都に於いて陶工千尋と号して作陶を初めた。その後、郷土陶芸の開発に任じつつ、又現代陶芸界に独自の世界を求めて兵庫県に窯を移した。昭和12年、釉彩に依る“孔雀文水注”は帝展に初入選となり、其後の制作の基盤となっていった。戦後は日展に出品、昭和32年には文陶社を主宰し、新しい陶芸の発展を志していたが、昭和37年9月18日淋巴肉腫のため逝去した。享年62才。
作品年譜
「窯変孔雀水注」昭和12年 帝展
「飛魚飛行」花瓶 昭和16年 久邇宮家買上
「竹園瑞鳥文」 昭和17年 三笠宮献上
「窯変四方花瓶」 昭和18年 文展
「螢光釉彩水注」 昭和21年 日展
「唐三彩箱」 昭和25年 日展
「窯変線條花瓶」 昭和28年 日展
「二釉彩花瓶」 昭和30年 現代日本陶芸展
「月の面」飾皿 昭和35年 個展
「釉彩亀文花瓶」 昭和36年 個展
「日輪」花瓶 昭和37年 個展
又、昭和12年以後天皇陛下獻上用作品の依嘱制作4回に及んでいる。

出 典:『日本美術年鑑』昭和38年版(142頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「小倉千尋」『日本美術年鑑』昭和38年版(142頁)
例)「小倉千尋 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8979.html(閲覧日 2024-04-19)
to page top