大淵武夫
国画会々員大淵武夫は、10月13日脳溢血のため武蔵野市の自宅で逝去した。享年53才。大淵武夫は明治38年2月11日姫路市に生れた。昭和4年東京美術学校の彫刻科選科塑造部を卒業したが、在学中から洋画に専念して大正15年第5回国画創作協会展に(この年洋画部新設、すなわち第1回国画会展)「静かなる港」を出品、国画創作協会奨学賞をうけた。つづいて毎年同展に作品が入選し、昭和5年第5回国展では樗牛賞、8年第8回展では再び国画奨学賞を受賞して昭和12年国画会同人に推薦された。その間英独仏を歴遊した。写実的画風で、風景、静物画が多い。戦後は日展委員を委嘱され出品したこともある。28年以後、神戸、大阪各地で個展をひらき、33年には研究会「みねるば会」を主宰、第1回展を催している。主な作品は受賞作のほか「花のある静物」「長崎眺望」など。
略年譜
明治38年 8月21日兵庫県姫路市に生れる
大正13年 東京美術学校彫刻科選科塑造部に入学
大正15年 第5回国画創作協会展(第1回国画会展)に「静かなる港」出品、国画会奨学賞となる
昭和4年 東京美術学校卒業
昭和5年 国画会第5回展に「卓上静物」「花」「曇り日のハルピン」出品、樗牛賞をうける
昭和8年 国画会第8回展に「午後の風景」「横浜」ほか2点を出品、国画奨学賞をうける
昭和9年 渡欧、翌年パリでサロン・ドオトンヌ、サロン・チュイルリイ等に出品
昭和11年 仏、独、伊、和各地を廻り、帰国
昭和12年 国画会第12回展に「モレーにて」「通りの朝」「画室の一隅」「ヴァーンブの道」「靴屋」などの滞欧作を発表、同人に推される
昭和14年 第3回文展に参加「北京の春」出品。国画会第14回展「奈艮公園」「大和路浅春」出品。この年から陸海軍嘱託となり記録画多数制作。従軍数回に及ぶ
昭和21年 日本美術展覧会委員を委嘱される
昭和28年 国画会第27回展「花のある静物」「鏡のある静物」「桂川湊谷」
昭和31年 国画会第30回展「長崎跳望」「長崎南山手」「長崎」。長埼県依嘱により「西海国立公園」、また姫路市依嘱により「姫路城」制作
昭和33年 神戸大丸で個展。28年頃から神戸、大阪各地で度々個展をひらく。自己の主宰する研究会「みねるば」第1回展開催。10月13日没
昭和34年 第33回国展に遺作20点を陳列
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
例)「大淵武夫」『日本美術年鑑』昭和34年版(154-155頁)
例)「大淵武夫 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8928.html(閲覧日 2024-12-02)