三村英一
新構造社創立会員三村英一は3月27日脳溢血のため東京都小金井市の自宅で逝去した。享年68才。明治23年4月11日広島県北婆原郡に生れた。同38年町絵師の徒弟となつたが41年白馬会に入り洋画を学んだ。その後、一時京都・大阪に居住し、明治44年から大正2年まで時々関西美術会展に出品していた。大正5年ショウインドウ会社に勤務、図案部主任、編集顧問などつとめたのち、大正9年から杉並区成宗に居住し、花卉栽培をはじめ園芸を副業として西部花卉協同組合の顧問を勤めつつ没年まで画道に精進、また新構造社の発展に尽力していた。昭和4年構造社展に「水辺」を出品以来同展に出品し、翌年会友、同7年会員になつた。また槐樹社展にも作品を送つた。構造社時代の作品に「武蔵野の夕陽」「牡丹」(8年)、「盛夏の頃」(9年)などがある。昭和11年帝展改組に関連して構造社が分裂した際、三村英一は代表となつて新構造社を結成、作品には「卓上」(14年)、「稔の朝」(14年)、「郷秋」(15年)、「初秋の午後」(17年)などを出品、戦後の連立展では「初夏の田園」(5回展)、「麦秋」(6回展)、「近郷の春」(9回展)、「湖畔の町」(16回展)などがあげられよう。
出 典:『日本美術年鑑』昭和34年版(148頁)登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
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例)「三村英一」『日本美術年鑑』昭和34年版(148頁)
例)「三村英一 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8926.html(閲覧日 2024-12-02)
例)「三村英一」『日本美術年鑑』昭和34年版(148頁)
例)「三村英一 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8926.html(閲覧日 2024-12-02)