邨田丹陵
日本画家邨田丹陵は1月27日逝去した。享年69歳。弱冠吉沢素山に就学、次いで土佐派の川辺御楯に師事し、明治23年内国勧業博覧会に「石橋山合戦図」を出品、褒賞を受け、若くして頭角をあらはした。翌年岡倉天心を盟主とする日本青年絵画協会の創立に与り、同協会共進会の委員、審査員として活動し自らも幾多の力作を発表した。明治30年同会が日本絵画協会と改称し、31年日本美術院と聯合して共進会を開くに至つた後も審査員となり、又自らも出品した。其の後同37年日露役に際して海軍に従軍す。文展第1回に「大宮人図」を出陳、3等賞となつたが、爾後自ら省る所あり、画壇を退き一切の展覧会と交渉を絶つた。昭和10年に明治神宮聖徳記念絵画館の壁画「大政奉還図」を揮毫してゐる。晩年は東京府下北多摩郡に住居し、悠々画作に従ひ、又菊作りの大家として知られてゐた。
略年歴
明治5年 7月20日東京に生る。本名竧(タダシ)、父は旧田安徳川藩士村田直景
明治13年 素山吉沢利喜に就て画技を習ふ。母の生家邨田氏を継ぐ。
明治16年 6月、川辺御楯の門に入り丹陵と号す
明治17年 第2回内国絵画共進会「藤原光頼諌惟方図」「神南川図」
明治19年 東洋絵画共進会「佐藤忠信芳野戦図」褒状
明治23年 第3回内国勧業博覧会「石橋山合戦図」褒状
明治24年 日本青年絵画協会を創立
明治25年 日本青年絵画共進会「豊太閤観花醍醐図」
明治26年 同第2回共進会「新田義興」銅牌
明治27年 日本美術協会展「小早川隆景破明軍図」銅牌、第3回日本青年絵画協会「両雄会湖畔図」
明治28年 第4回内国勧業博覧会「富士牧狩図」妙技3等賞、宮内省御買上
明治29年 日本青年絵画協会の組織改組さる、宮内省御下命画「黄海々戦図」(屏風三隻)謹作
明治31年 日本絵画協会日本美術院第5回共進会「森蘭丸」銅牌
明治32年 同第7回共進会「雪月花」銅牌
明治35年 讃岐琴平神社の襖「富士牧狩図」揮毫
明治37年 日露役に際し海軍に従軍、寺崎広業と共に記念画帳「二龍宝台」を作る
明治40年 東京勧業博覧会「佐野の雪図」2等賞、東宮職御買上 文展第1回「大宮人図」3等賞、宮内省御買上、爾後展覧会に発表せず
昭和10年 聖得記念絵画館の壁画を揮毫す
昭和15年 1月27日没
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
例)「邨田丹陵」『日本美術年鑑』昭和16年版(90頁)
例)「邨田丹陵 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8579.html(閲覧日 2024-09-18)
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