関如来

没年月日:1938/02/20
分野:, (評)

美術評論家関如来は動脈硬化症の為、東京府立大塚病院に於て逝去した。享年73歳。
 本名巌二郎、慶応2年11月16日大和櫛羅藩永井信濃守の家臣関祐忠の四男として葛城山下の藩地に生る。明治10年大阪府立大阪英語学校に入学、ついで東京大学予備門に転じ、同18年同校を退き、同27年読売新聞社に入社、文学及美術を担当した。同30年、一時帝国博物館の帝国美術略史編纂を嘱託され、又同年臨時博覧会事務局の事務を嘱託され、同32年には臨時博覧会鑑査官を仰付けられた。同31年日本美術院創立に参画し依つて天心よりその正員たらんことを求められたが受けなかつた。同35年読売を退社、美術史の著作に従事し、傍ら「ステユデイオ」社の日本通信員となつた。同43年読売に復社し美術部主任となつたが、大正3年退社した。昭和4年京都日出新聞社より聘せられてその発行人となり爾後京都に寓居した。読売入社当時訪問記事「当世名家蓄音器」を連載、その後31年の美術学校紛擾の際も美術記者として筆を揮つた。又29年より美術評論の執筆に生涯を終始した。「美術」「書画之研究」「関」等の雑誌を発行したことがあり、著者としては「当世名家蓄音機-文禄堂発行」、「五色の酒-春陽堂発行」があり、其他「日本靖献帖」の解説編輯、「霊華追悼画集」の編纂等がある。

出 典:『日本美術年鑑』昭和14年版(106頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「関如来」『日本美術年鑑』昭和14年版(106頁)
例)「関如来 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8531.html(閲覧日 2024-03-29)

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