高取稚成

没年月日:1935/01/30
分野:, (日 )

名熊夫、慶応3年に生る、幼名は熊若と云つた。幼時住吉広賢の隣家に住した関係から其の門に入つて大和絵を修め、明治16年広賢の没するや山名貫義に就いた。明治18年より同21年に亙つて行はれた皇居御造営に際して奉仕したが、当時青年輩は何れも諸調度品の下絵をつけるに止つたのであるから今日此等のものは熊若の作品としては現存してゐない。この御造営以後青年画家の中に確たる地歩を占めるに至り、その後青年絵画協会或は日本美術協会、文展等にその作品を発表した。文展に於ては第3回に「赫耶姫天上の図」を、第6回に「藤房卿の草子」(2等賞)を第7回第一科に「南淵魚水」(2等賞)を第9回に「四家文躰」(3等賞)を出品して大正10年より3年間審査員を命ぜられた。其の他世に聞える作品としては宮内省蔵「大正四年御即位大典絵巻」、今神宮徴古館に保管せらるる昭和4年度皇太神宮式年遷宮絵巻12巻、明治神宮絵画館奉献壁画「有栖川征東大将軍宮建礼門御通過の図」等がある。
 嘗て久迩宮家御用掛たり、現に伊勢神宮技芸員、宮内省嘱託であつた。
 最後迄生き残つた純粋な土佐派の画家として、取材なり、技法なり忠実に古法を墨守した其の画風は不幸時世の顧る所とならなかつたが、歴史的には甚だ貴重な存在であつた。享年69。

出 典:『日本美術年鑑』昭和11年版(126頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

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例)「高取稚成」『日本美術年鑑』昭和11年版(126頁)
例)「高取稚成 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8481.html(閲覧日 2024-03-19)

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