陽咸二
明治31年東京に生る。大正4年小倉右一郎に入門、大正7年文展に「老婆」を出品して初入選、同11年には帝展に「壮者」を出品して25歳にして特選となつた。此の時には既に「老婆」に示された写実主義は一転して、ギリシヤ彫刻クラシツク時代前期の影響を受けた様式化を示して居た。此の様式化は其後益々強調されて氏独自の様式を樹立するに至つた。昭和2年には構造社客員に、同4年には構造社会員となつた。昭和10年6月新帝国美術院の展覧会規則によつて指定された。前記「壮者」の外「降誕の釈迦」「サロメ」「千一夜物語」等が彼の代表作として挙げられる。享年38。
出 典:『日本美術年鑑』昭和11年版(129-130頁)登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
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例)「陽咸二」『日本美術年鑑』昭和11年版(129-130頁)
例)「陽咸二 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8436.html(閲覧日 2024-10-12)
例)「陽咸二」『日本美術年鑑』昭和11年版(129-130頁)
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- 1923(大正12) 大正十二年帝國絵画番付_807086