松平修文

没年月日:2017/11/23
分野:, (学)
読み:まつだいらおさふみ

 長らく青梅市立美術館に学芸員として務め、自らも日本画を制作、また歌人としても活躍した松平修文は11月23日、直腸がんのため青梅市立病院で死去した。享年71。
 1945(昭和20)年12月21日、北海道北見市に生まれる。父の転勤に伴い北海道内を転々としながら、絵画や詩作に耽る少年期をおくる。64年に札幌西高等学校を卒業し上京。66年東京藝術大学美術学部へ入学し日本画を専攻、その後同大学院に学ぶ。83年、青梅市立美術館の開設準備に学芸員として関わり、翌84年の開館後も数々の展覧会を企画、青梅市を中心とした西多摩地域における芸術文化の発展に貢献し、副館長等を経て2009(平成21)年の退職まで務めた。松平が手がけた展覧会の中でも特筆すべきは、自身も制作者として専攻した日本画に関する企画であり、とくに「佐藤多持代表作展」(1986年)や「長崎莫人展」(1988年)、また佐藤が所属する知求会の歩みを紹介した「或るグループ展の軌跡」(1991年)等といった戦後の日本画家、あるいは「夏目利政展」(1997年)や「大正日本画の新風 目黒赤曜会の作家たち」展(2004年)といった明治末~大正期に活躍した画家等、近現代日本画の流れの中でも革新的な試みを行った画家達に注目し、その評価に果たした役割は大きい。
 歌人としては69年より大野誠夫に師事、松平修文(しゅうぶん)の名で『水村』(雁書館、1979年)、『原始の響き』(雁書館、1983年)、『夢死』(雁書館、1995年)、『蓬』(砂子屋書房、2011年)、『トゥオネラ』(ながらみ書房、2017年)の5冊の歌集を刊行した。没後の18年1月には『歌誌 月光』54号で、松平の追悼特集が組まれている。また2019(令和元)年9月には奉職した青梅市立美術館の市民ギャラリーで「松平修文遺作展 風の中でみた村落や森や魚や花が」が開催、学芸員や歌人として活躍する傍ら、絵筆を離さず制作を続けた日本画家としての側面があらためて着目された。妻は歌人の王紅花。

出 典:『日本美術年鑑』平成30年版(458頁)
登録日:2020年12月11日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「松平修文」『日本美術年鑑』平成30年版(458頁)
例)「松平修文 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/824366.html(閲覧日 2024-04-19)

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